帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (232)たが秋にあらぬものゆへをみなへし

2017-05-20 19:35:08 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 232

 
                                                               
貫 之

たが秋にあらぬものゆへをみなへし なぞ色にいでてまだきうつろふ

(歌合の歌と思われる)               つらゆき

(すべて世は秋・誰の秋でもないのに、女郎花、なぜ葉や花の色が、未だその時期でないのに、変わりゆくのか……秋は皆に巡り来る・誰の秋でもないのに、遊びめたちよ、なぜ目だって容色が、未だその歳ではないのに盛り過ぎるのか……厭きは皆にくる・誰の厭きでもないのに、をみな圧し、おとこは・なぜ白色に出でて、早くも衰えゆくのか)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋…飽き…厭き」「ものゆへ…ものゆゑ…のに・けれども」「をみなへし…女郎花…草花の名…名は戯れる、をみな部し・遊女たち・をみな圧し」「色…色彩(花や葉の色)…容色・色香…おとこのつゆの色」「まだき…未だき…未だその時期のならないうち…早々に」「うつろふ…移ろう…変化する…悪い方へ変わる…盛り過ぎる…衰える」。

 

秋に可憐な黄色い花を咲かせる、女郎花、なぜか色やかたちが早く衰え・惜しまれる。――歌の清げな姿。

誰にも同じように、四季は巡り来るものなのに、遊女たち、なぜ、容姿・容色に表われて、早く盛り過ぎるのか。――これは、歌の心深きところか。

誰にも厭きは来る・おとこの厭きは、をみな圧し、なぜ、早過ぎる時に、白色に出て、盛り過ぎ折れ逝くのか。――心におかしきところ。

 

字義だけではない、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に、歌の主旨や趣旨が多重になって顕れる。これが、古典和歌の歌の様である。今や、歌の清げな姿しか見えなくなっているのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

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