帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(24)春くれば今ひとしほの色まさりけり

2016-09-20 19:06:43 | 古典

               


                             帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
24


         寛平の御時后宮歌合によめる     
源宗于朝臣

常磐なる松のみどりも春くれば 今ひとしほの色まさりけり

(常磐と言われる松の緑も、春がくれば、いまひと染めしたように、色彩増したことよ……時には成る、我れ・待つ女の、見とりも、春情繰れば、井間、一肢おの、色情増したことよ)


 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ときは…常磐…常に変わらない様…時は…時々は…時には」「松…待つ…言の心は女」「みどり…緑…色彩の名…身取り・見取り…まぐあい」「み…見…覯…媾」「春…季節の春…春の情」「くれば…来れば…繰れば…繰り返せば」「いま…今…現在…井間…おんな」「ひとしほ…染料にもう一度入れること…一肢お」「ほ…を…お…おとこ」「色…色彩…色艶…色情…色欲」「けり…気付き・感嘆」。

 

新緑の中、ひときわ映える松の深い緑。――歌の清げな姿。

これだけの意味でしかないならば、もとより和歌ではない。清げな姿だけを聞き取って、歌の出来栄えなどを云々するのは、作者を冒涜するだけである。男の心根・心音が、歌言葉の言の心と戯れの意味に顕れるように詠まれてある。

変化なしも、時には成る、姫まつの色情も、張る繰れば、いまひとしほ増さることよ。おとこの気付き・感嘆、あるいは詠嘆。――歌の心におかしきところ。

 

この歌は歌合の春歌二十番の最後の左方の歌である。合わされた右方の歌は、詠み人しらず、聞いてみよう。

来む春にあはむことこそかたからめ 過ぎゆくにだに遅れずもがな

(……来る春情に和合は難しいでしょう、過ぎゆく・君の春の張るによ・遅れずにゆきたいわ)


 「だに…強調する意を表す」
「もがな…願望を表す」。

 

あえて従順な情のある女歌と合わされたようである。貴皇子宗于の青春の春情の歌に合わせるのに相応しく、両歌のおかしさが増す。歌合わせの面白さの一端に触れることが出来たのかかもしれない。歌の真髄は「心におかしきところ」にある。

源宗于朝臣は、宇多上皇の甥、醍醐天皇の従兄弟にあたる貴皇子である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)