帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (332)あさぼらけありあけの(333)消ぬがうへに又も

2017-11-15 19:33:32 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様を知り」とは、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知ることである。先ずそれを知らなければ、歌の解釈など始まらない。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌332) 

 

大和の国にまかれりける時に、雪のふりけるを見て

よめる                坂上是則

あさぼらけありあけの月と見るまでに よしのゝ里にふれる白雪

(大和の国にでかけた時に、雪が降っていたのを見て詠んだと思われる・歌……山途のくにに行った時に、白ゆきが降ったのを見て詠んだらしい・歌)さかのうへのこれのり

(ぼんやりと夜が明ける頃、大空に残る月と見るほどまでに、吉野の里に降った白雪よ……うすぼんやりする朝方、つとめて未だ残る月人壮士と見るほどに、好しのさ門に、降ったおとこ白ゆきよ)。

 

「あさぼらけ…朝ぼらけ…ほのぼのとした夜明け…浅ぼらけ…少しぼやっとした気はい」「ありあけの月…有り明けの月…夜が明けても空に残る月」「月…大空の月…月人壮士…つき人をとこ…おとこ」「見る…目で見る…見て思う」「見…覯…媾…まぐあい」「までに…状態の極端な事を表す…感動の意を表す」「よしのの里…吉野の里…所の名…名は戯れる。好しののさ門、好きおんな」「白雪…白ゆき…体言止めで余情がある…おとこ白ゆきよ」。

 

ぼんやりとした夜明け、大空に残る月が照るのかと思うほどに、吉野の里に降った白雪よ――歌の清げな姿。

貴女を・あの山ばに送り届けるべくつとめて、薄ぼんやりした明け方、残りの月人おとこは、と思えるほどに、好しのさ問に降りつもった、わが白ゆきよ――心におかしきところ。


  山ば途中で、在り明けの尽きが、おとこのさがの限界のようである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌333

 

題しらず             よみ人しらず

消ぬがうへに又もふりしけ春霞 たちなばみ雪まれにこそ見め

(題知らず)             (詠み人知らず・匿名で詠まれた女歌として聞く)

(消えない上にに又も頻りに降れ、春霞が立てば、み雪は稀にしか見られないでしょうから……消えないうちに、そのうえに又も頻りに、触れ・降れ、春情が済み、断ったならば、貴身のゆき、稀にしか見られないでしょうが)。

 

「ふりしけ…頻きりに降れ…絶え間なくふれ」「春霞…はるがすみ…春情が澄み…張るが済み」「たちなば…立ったならば…断ったならば」「み雪…御雪…見ゆき…身ゆき…貴身のおとこ白ゆき」「まれに…稀に…たまに」「見め…見るだろう」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

雪よ、もっと降れと愛でて、止むを惜しみたくなる情景――歌の清げな姿。

消えない上にまたも、頻りに触れ降らしてよ、春情澄み、張るが済んだならば、貴身の白ゆき、稀にしか見られないでしょうが――心におかしきところ。


  この歌が、歌合などで、是則のような男歌と合わされるとさらに、おかしさが増すだろう。

 
 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


この記事をはてなブックマークに追加