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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。
優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。三拍子揃うことは至難の業なのだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (279)
仁和寺に菊の花めしけるとき、歌添えて奉れと、
おほせられければ、よみて奉りける 平貞文
秋をおきて時こそ有けり菊の花 うつろふからに色のまされば
(仁和寺の上皇におかれて、菊の花を召された時、歌添えて奉れと仰ったので、詠んで奉った・歌) 貞文
(季節の秋を除いても、咲き誇る時が有ったことよ、菊の花、移ることによって、色彩が増しますれば……飽き満ち足りる時を除いても、その時が有ったのだった、貴具の端、移ろうやいなや、色情まされば)
「秋…飽き満ち足り」「菊の花…長寿の女花…きぐのはな…貴具の端…貴い身の端」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する(譲位する)…次第に衰えゆく」「からに…(移ること)によって…(移ろうと)たちまち」「いろ…色彩…色香…色情」。
秋すぎても色彩ます、長寿の菊の花を愛でた――歌の清げな姿。
上皇になられても、以前にも増して、色香のお盛んなご様子を愛でた――心におかしきところ。
当時、貞文(平中)の家には、菊も多くあったが、多くの姫たちが、その親に頼まれて、大人の女になる為に預けられていたらしい。その奇具の女花を奉れrと仰せになられたと思われる。さすれば、歌の心におかしきところがよくわかる。
宇多天皇は譲位の後、仁和寺に住まわれたが、一部の女御たちは宮中より院に移っていた。この頃の歌と推察される。後に仁和寺で出家され法皇となられ、女たちと別れ、修行の旅にでられた。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)