帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(七十七)春の別れをとふとなるべし

2016-07-03 19:36:01 | 古典

             



                          帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。


 伊勢物語
(七十七)春の別れをとふとなるべし


 昔、田邑の帝と申す帝(文徳天皇)がいらっしゃった。そのときの女御で、たかき子(藤原良相の娘で多賀幾子・高子とは従姉妹)と申す方がいらっしゃった。それうせたまひて安祥寺にてみわざしけり(その方が亡くなられて安祥寺にて御法要された……その人、かくれて安祥寺にて見わざしたのだった)。人々捧げ物を奉った。奉り集めた物、千捧げばかりあった。多くの捧げ物を木の枝に付けて、本堂の前に立てたところ、山も更に堂の前に動きだしたように見えたのだった。それを、右大将であられた藤原常行(多賀幾子の兄)と申す方がいらっしゃって、法師の講(法話)の終わるころに、歌詠む人々を召し集めて、けふのみわざをだいにして春の心ばえある(今日の御法要を題にして春の風情のある…京の見技を題にして春の情趣のある)歌を奉らせられた。右馬寮の長官だった翁(この男)、めはたがひなから、(目のつけどころは違いながら…女をわざと間違えながら)、歌を詠んだのだった。

 山のみなうつりてけふにあふ事ははるのわかれをとふとなるべし

  (山がみな移って今日のご法要に参会することは、春の日の、別れを・多賀幾子様との別れを、山も・弔っているのでしょう……山ばがみな移ろうて京にて合うことは、春情の別れを、如何かなと・問うと成れるのだ)と詠んだのを、今見れば、よくもあらざりけり(良くはなかった)。そのかみは、これやまさりけむ、あはれがりけり(その時は、この歌が優っていたのだろうか、人々は・哀れがったのだった……そのかみは・その女は、この技が優ったのだろうか、女は・しみじみと感じてかりしたのだった)。

 

貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る

「みまそかりけり…いらっしゃった…身間ぞかり…共寝した…今ぞかりけり」「かり…狩り…めとり…まぐあい」「うす…失す…死ぬ…姿をけす…隠れる」「みわざしけり…御法事した…見わざしたことがあった」「見…覯…媾…まぐあい」「けふのみわざ…今日の御法事…京の見技…絶頂でのまぐあいわざ」「春の心ばへある…季節の春の風情ある」…春の情の趣のある」「めはたがひながら…歌題の趣旨のとらえ方(目の付け所)を違えて…女は違えながら…たかきことたかいこ又は他の女との見わざと違えながら」「め…目…女」。

「山のうつり…山の移動…山ばのうつろい…山ばのおとろえ」「けふにあふ…今日に会う…今日の法事に参会する…京に合う…共に京に至れるよう見わざで女の山ばを合わせる」「春のわかれ…春情との別れ…やまばの京での別れ…あの春の日の突然の別れ」「とふ…弔う…尋ねる…覯のおわりのほどをうかがう…問う」「なるべし…なのであろう…成るべし…(きっと山ばに到達して和合)成ることが出来る」「べし…推量の意を表す…可能である意を表す」。

「いま見ればよくもあらざりけり…今見ればいい歌ではなかった…いま見ればよい見わざではなかった」「かみ…以前…上…女」。

 

たかきこ(多賀畿子)は藤原良相(太政大臣良房と兄弟)の娘。愛憎するたかいこ(高子)とは従姉妹。右大将の藤原常行は、たかきこの兄。あのたかいこの兄の憎き基経らとは従兄弟。登場するのは、憎き良房一門の人たちである。いずれも、歌は苦手な人たちのようである。

右大将常行を密かに愚弄し、歌題と女を違えて、季節の春の情趣ならぬ、京でのまぐあいわざの春情の情趣を詠んだ歌。たかい子又はかたかき子と、安祥寺にて密会した事があったように聞こえ、その時の女の情態をからかった歌。


 この歌と物語を読んだ平安時代の女たちは皆、下劣と言って嫌がっただろう。今の女性の読者も同じだろう。清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感も同じである。


 (2016・7月、旧稿を全面改定しました)