帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの後十五番歌合 二番

2014-12-23 00:18:33 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合



 「後十五番歌合」は藤原公任(又は子の定頼)が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。

公任の歌論によれば、およそ、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしきところがある。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるから、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。

紀貫之は歌言葉の複数の意味を「言の心」と言ったようである。清少納言は、われわれ上衆の言葉は、聞く耳によって意味の異なるものであると枕草子に記し、藤原俊成は、「古来風躰抄」で歌の言葉を浮言綺語の戯れに似ていると述べた。歌言葉の多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるだろう。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 二番

  馬内侍

こよひきみいかなる里の月をみて 都に誰を思ひいづらむ

(今宵、君、どのような里の月を見て、都に居る誰を思い出しているのでしょうか……こ好い、貴身、どのような女の尽きを見て、宮こにいる誰を思い出しているのでしょうか)

 

言の戯れと言の心

「こよひ…今宵…こ好い」「こ…小…接頭語」「きみ…君…恋人…木身…貴身…おとこ」「いかなる里…何処の里(恋人の居る郊外の里)…どのような女」「里…言の心は女…さ門」「月…つき人壮士…おとこ…突き…尽き」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「都…わが居るところ…宮こ…(あのわが)感の極み」「誰を…わたしよね」

 

歌の清げな姿は、郊外に住む恋人への手紙。

心におかしきところは、嫉妬をまじえ、あのときの艶なるさまを思い出させて、男心を離すまいとするところ。

 

 

  和泉式部

くらきよりくらき道にぞ入りぬべき はるかにてらせ山のはの月

(人は皆・無明のこの世より冥土への道に入ってしまうのでしょう、遥か遠くから照らしてよ、山の端の月……暗木縒り、暗き路に入るのでしょう、張るかにてらせ、山ばの果てのつき人おとこ)

 

言の戯れと言の心

「くらき…暗き…無明…無知で煩悩いっぱい…くら木…衰えたおとこ」「木…言の心は男」「より…から…起点を示す…撚りを入れる…強くする」「くらき…冥き…冥土…死後の世界…異性の中」「道…路…言の心は女」「はるかに…遥かに…遠くから…張るかに」「てらせ…照らせ…衒せ…自慢げに見せびらかせ」「山のは…山の端…山ばの果て」「月…つき人をとこ…おとこ」

 

歌の清げな姿は、極楽往生を願う心。

心におかしきところは、宮こへ、感の極みへと願う女心。

 

この歌、拾遺和歌集 巻第二十 哀傷歌の詞書は「性空上人のもとに詠みてつかはしける」。若いころ、なぜ、このような歌を法師のもとに送ったか、巻と歌の並びから推測すると、祖母か乳母か実母を亡くして、その極楽往生を願った歌だろうと思われる。前後には法師の歌がある。後に置かれた歌を聞きましょう。

極楽ははるけきほどとは聞きしかど つとめて至るところなりけり

仙慶法師という人の、和泉式部の歌とは関係なく詠まれた歌で、詞書「極楽を願ひて詠み侍りける」。

(極楽は、たしかに・遥かなところと聞いているけれども、夜の営みではなく・朝のお勤めをして至るところだったなあ)と聞こえる。歌集には、歌の並びにも、「心におかしきところ」を解くカギがある。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆき、埋もれ木となった。

江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。