帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 83 むさしのにおふとし聞けば

2014-03-22 00:09:57 | 古典

    



                帯とけの小町集


 

小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。


 

 小町集 83


 見し人のなくなりしころ

(見知った人が亡くなったころ……見た男がなくなったころ)・詠んだ

むさしのに生ふとし聞けば紫の その色ならぬ草もつむまじ

 (武蔵野に生まれたと聞けば、高貴な方が、その色彩でない女など摘み・妻としなかったでしょうに……果てしなく繁り極まると聞けば、高貴な方が、その紫色で無い女など、娶らなかったでしょうに)。


  言の戯れと言の心

「むさしの…武蔵野…草木繁る広いところ…果てしない…繁し…頻りである」「おふ…生える…極まる…感極まる」「むらさき…紫草…紫雲…紫色…高貴な色(禁色の一つ)」「その色ならぬ草…小町の卑下または自嘲」「草…女」「いろ…色彩…色情…色欲」「つむ…摘む…採る…娶る」「まじ…否定的に推量する意を表す…無いに違いない…きっと無いだろう…(摘み採られなければ惜別の哀しみも)なかっただろうに」。

 


 小野小町は、武蔵野よりさらに北のみちのくから、京に来た采女(うねめ)とすると、歌集の歌がわかり易い。小町の置かれた情況がわかれば、歌の心情がよりよく伝わるはずである。

 


 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。
 



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。