はさみの世界・出張版

三国志中心の、創作小説のHP「はさみの世界」の出張版です。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ!(^^)!

孤月的陣 花の章 21

2017年08月13日 09時43分33秒 | 孤月的陣 花の章
たしかに得をするだろう。
だが、花安英は劉備と孔明の気質を知らない。
蔡瑁の暗部を白日のもとにさらけ出し、追い出した後に、神輿をかついで、自分が蔡瑁のいた地位に居座る、などという世渡りは、劉備のもっとも嫌うところである。
さらに加えて、孔明は、軍師らしからぬことに、こういった『汚い』話を嫌う。
汚い話を、汚いまま、処理することが性格上、できない。

ふと、むせ返るような花のにおいを吸い込んだ。
いつの間にか、花安英が、さらに距離をつめて、趙雲に近づいてきているのだ。花安英は、声を立てずに笑いながら、趙雲に腕を伸ばしてくる。
湿った肌の感触が、身体にぴたりとくっついたとき、趙雲は思わず、力いっぱいそれを跳ね飛ばしていた。
と、同時に衝立が派手に倒れて、その風で、部屋に灯されていた蝋燭が、掻き消えた。
情事のさなかに闇に包まれた蔡瑁たちは、ようやく、部屋に、自分たちとは別の人間がいることに気がついた。
「だれだ!」

迂闊であった。

趙雲はちいさく舌打ちすると、すばやく周囲を見回した。
傍らには、さすがに身をこわばらせる花安英、ほこりを被った衝立、蜘蛛の巣の掛かった調度品、壁に生えた木のように佇む燭台。
この燭台を武器代わりに振り回し、突破を、と趙雲は考えたが、衝立の向こうで、蔡瑁が、はやくも体勢をととのえて起き上がるのを見て、あきらめた。
蔡瑁は智将である。行動も慎重で、このような後ろ暗い密会においても、すぐそばに側近を控えさせていた様子だ。
ただならぬ蔡瑁の誰何の声に、数人の足音が近づいてくるのが聞こえた。
この小魚の骨のような、貧弱な坊主を抱えて蔡瑁主従を突破することになるが、負ける気はしない。

だが…

そのとき趙雲の脳裏に浮かんだのは、慣れぬ得物をどう使いこなすか、物置小屋を出た後、どこう逃走経路をとるか、といったことではなかった。
突破はできるだろう。戦いになっても、負けることはない。

だが、姿を見られたら、どうなる。

諸葛孔明の主騎たるおのれが、蔡瑁の動きをさぐるべく、密偵のまがいごとをして、それを悟られたら。孔明は、劉琦を押す劉備の軍師となった。
そのために、蔡瑁も蔡夫人も、姪の婿たる孔明を快く思っていない。
さらに、孔明の主騎に、自分たちの最大の秘密を握られたとなれば、死にもの狂いで襲い掛かってくるだろう。
孔明が、この場にいるのであれば、ともに連れて逃げる。
だが、孔明はいま、伊籍らとともに宴席に出ている。
しかも、自分は花安英によって、闇の中、慣れぬ樊城の一室へと導かれた。
首尾よく追っ手をかわしたとして、孔明のいる場所まで、蔡瑁たちより早く孔明のもとにたどり着き、樊城を出ることは可能か。
趙雲はすばやく計算した。
出来ないことではない。
だが、蔡瑁たちが『壷中』だったとしたら、どうだ。
たとえ樊城を突破したとしても、すぐさま追っ手は掛かるだろう。
それすら振り切ったとして、新野に逃げ込めたとする。
蔡瑁たちの秘密をあきらかにすれば、劉備側に大義名分はたつ。
樊城だけではなく、荊州のほかの太守たちの中にも、劉備とよしみの深い人間はいる。
かれらをまとめ、樊城にいる劉琦を救う、という名目で軍を進める。
戦になれば、戦力は樊城のほうが上だが、人心は劉備にある。じっくり攻めれば、劉備が勝つ。
しかし、その内紛を、曹操が見逃すはずがない。
いま戦なんぞをしたら、すなわちそれは滅亡を意味する。
だめだ。それだけは避けなければ。

くそっ。
趙雲は、姿を見られずに、蔡瑁たちを突破することをあきらめ、さらに部屋を見回した。
すると、調度品にまぎれるようにして、板付けにされている窓があることに気付いた。
趙雲は、花安英にたずねた。
「おい、あの窓の外は、どうなっている」
「闇ですよ」
この期に及んで、たいがいふざけるのはよせ、という思いのありったけをこめて、花安英を睨みつけたが、花安英は、冗談を言ったのではないらしい。
怯えた顔をして答える。
「ここは三階です。あの窓から落ちたら、死にますよ」
「窓の下は?」
「さあ、わかりません。この窓の下は、奴婢たちが暮らしている小屋や畑があるはずですが」
よし、とだけ言うと、趙雲は立ち上がった。
その気配に、蔡瑁たちがますます、いきり立つのが、気配でわかった。
「間者か! 出てくるのだ!」
蔡瑁がよく響く野太い声で怒鳴った。
蔡氏のほうは、衣をととのえつつ、怯えた顔をして、蔡瑁の背後にかくれて、なりゆきを見ている。
蔡瑁の警護の者たちが部屋へやってくると、蔡氏は、床に落ちていた薄衣をさっ、とかぶって顔を隠した。
人数が増えたことで、蔡瑁は気を強くしたのか、抜刀した兵卒とともに、衝立のほうににじり寄ってくる。

頃合を見計らい、趙雲は、目の前にある衝立を蹴り飛ばした。
ちいさな悲鳴が上がり、蔡瑁たちが、うろたえたのがわかる。
趙雲は、まっすぐに入り口に向かわず、壁側にすばやく移動すると、壁側に積まれた家具を、片っ端から抱え上げ、手当たり次第に、蔡瑁たちにぶん投げた。
もしかしたら、この中には、高価なものがあるのかもしれない。
派手な音をたてて、家具は蔡瑁たちにぶつかり、あるいは床や壁にぶつかって、倒れていく。
趙雲は、さいごに、壁にたてかけてある、自分の胸元くらいまである、大きな燭台を掴むと、やがて家具が取り払われ、全体が姿をあらわした窓の、板付けになっている部分に、燭台をつきたてた。
ばき、めき、と木の割れる音がする。
幸いにも、打ち付けられた板は古く、さほど頑丈ではないらしい。
何度かおなじことを繰り返し、板がほぼ割れたのを見ると、趙雲は、傍らでうろたえている花安英を引っつかみ、窓に思い切り体当たりをした。

ふわり、と肝を震わせる、不安感と浮遊感が全身をつつむ。
眼下はなにも見えない闇の海である。
どこまでが真の闇で、どこからが地上なのかもわからない。
ただ、思いのほか冷たい風が、闇と共に押し寄せてくるような感覚がある。
ひどく長い時間、空中に留まっているように思えた。
いつの間にか、樊城の城壁の天辺にでもいたのではないか。不安とともにそんな思いが過ったころ、眼下に、藁葺きの屋根が見えた。
趙雲は、飛び込む形でそこに落ちた。

つづく……
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