はさみの世界・出張版

三国志中心の、創作小説のHP「はさみの世界」の出張版です。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ!(^^)!

孤月的陣 花の章 13

2017年08月09日 22時08分30秒 | 孤月的陣 花の章

鼾が反響している。
この牢屋でできることといえば、おのれの身を嘆くことと、眠ることだけだ。
楽しみなんぞなにもない。
毎日の食事はどうせ腐ったものばかりであるし、不平をいえば、牢屋番に気絶するまでぶちのめされる。
死をじわじわと感じながら、斐仁は闇に落ちた牢屋で、身動き一つせず、目を見開いたまま、考えていた。

七年間。
夢のような年月にも思えたし、まさに夢そのものであったのかもしれない。
夢はうたかたのごとく、たった一日にして弾けて消えた。
牢に囚われた後、伊籍とかいうちょび髯の親父がやってきて、
「この男はほかの囚人とちがう扱いをするように。言うことを利かねば痛めつけてもよいが、拷問にかけることはまかりならぬ」
と言ってきたときに、なにかおかしいと思うべきであったのだ。
それを聞いたとき、俺はおろかにも、『あの男』がおれに温情をかけて、ひそかに逃がしてくれるのでは、などと甘い期待をかけたのだ。

『あの男』の狙いはなんだ?
死んだのが程子聞というのは、どういうことだ?
『あの男』が俺を騙しているというのなら…すべてが嘘だというのなら、では、あの屋敷で、娼妓としけこんだときに、俺を襲ってきたのは?
朱季南とかいう禿げは、俺を殺そうとした人間ではないとしたら?
すべてがひっくり返る。
あの軍師が言ったように、おれはただ利用されたのだ。
何のために?
  
ふと、闇の中に気配をおぼえ、斐仁は顔を起こした。
まさか、『あの男』か? 
助けに来たのか、殺しに来たのか。

だが、顔を起こした斐仁の目に映ったのは、『あの男』ではなかった。
孔明でも、趙雲でもない。
まして牢屋番などでもない。
思いもかけない人物であった。
思わず、その人物の名を口にしたが、拘束器具のせいで、うめき声にしかならない。

「久しいな」
と、そいつは言った。
そいつの目は、あきらかに斐仁を哀れみ、そして蔑んでいた。
ほかのだれに蔑まれようと、斐仁は気にしない。
だが、こいつには別だ、と思った。怒りのあまり、芋虫のように身体をうごめかせると、そいつはふたたび言った。
「ここがおまえの末路か。本来ならば、わたしもここにいなければならない身だというのに」
わざわざ感傷的になるために、牢までやってきたわけではあるまい。
だいたい、よくここまで入り込めたものである。口のきけないもどかしさに苛立ちながらも、斐仁は、そいつのことをゆっくり思い出していた。
むかつくほどに潔癖で、頭の回る、いわゆる『立派』な男だった。
だが、同じ穴のムジナ。
罪の重さは、そいつが自ら口にしているとおり、同等である。

「斐仁よ、このまま、道具のように命を落とす気はあるまい?」
抗議の声を斐仁はあげた。
先ほどまで、死は、最後の楽になれる手段であった。
しかし、そいつの顔を見てから、気が変わった。
自由になりたい。
そいつが天下を堂々と歩いていられるのに、俺だけがこうして、死ななくちゃいけないなんて、間違っている。
 
抗議の声を、是認の声と取ったらしく、そいつは重々しくうなずいた。
「よし、それでは逃がしてやろう。ただし、条件がある。ここを出たなら、おまえはわたしに従い、あの御方をお助けするのだ」
『あの御方』だと? 
こいつ、いきなりなにを言い出すのだ。
「そのつもりがない、というのであれば、わたしはおまえを見捨てる。よいな、あの御方のため、おまえは命をささげ、罪を償うのだ」
そんな、どこのどいつかわからない『あの御方』とやらのために、そんな真似ができるか。
斐仁が激しく唸ると、それが伝わったのか、そいつは遺憾そうに眉をしかめた。
「おまえの性根は、そこまで腐り果てたか。すこしでも良心というものが残っていれば、わたしの言う『あの御方』がだれか、すぐにわかるはずだ」
斐仁は、しばらくそいつと視線を戦わせていた。
そいつは、斐仁の人物を見定めるように、じっとその双眸を見据えていた。
そうして、やがて、くるりと背を向けた。

逃げるな!

斐仁は叫んだが、やはり言葉にはならなかった。
背を向けて、やがて闇に溶けていくそいつは、すっかり視界から見えなくなる直前に、たしかにこう言った。
「また来る。じっくり考えろ、おまえの為さねばならぬ償いを」

                          ※                     ※
 
牢屋番は、『そいつ』が何者か、よく知っていた。
牢屋番が世で見知っているうちで、これほど惚れ込むことの出来る男はない、というほどの人物であったから。
だから、そいつが賄賂として路銀を差し出したとき、牢屋番は頑として受け取らなかった。
夜回りがもうすこしでやってくる、さあ、早く行きなさい。
そう言うと、そいつは寂しそうな笑みを浮かべ、小走りに、夜闇にまぎれて消えた。
 
やがて、そいつは城から出ると、隠すように止めていた荷車を引いて、今日の宿屋へ向かっていった。
そのときには、もう『そいつ』は、一日中、働きづめで、くたびれ果てた瓜売りの老人に戻っていたけれども。

つづく…
ジャンル:
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