はさみの世界・出張版

三国志中心の、創作小説のHP「はさみの世界」の出張版です。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ!(^^)!

孤月的陣 雨の章 17

2017年07月31日 09時53分56秒 | 孤月的陣 雨の章
斐仁の館はひっそりと静まり返っていた。
世間では、夕餉の支度で、明かりが灯されているというのに、この静まりようは、尋常ではない。
門を叩くと、だれの返事もなく、軽く押してみると、ゆっくりとそれは開いた。
不用心にすぎる。
趙雲は、すぐさま剣を抜いた。
なんらかの気配を感じて警戒したのではない。
なんの気配も感じられなかったので、かえって警戒したのである。
あれからすぐに、一家で遁走したとは思えない。
陳到の部下に、見張りをつけさせていたのだ。
その見張りたちはどうしているのだろう。陳到が屋敷に呼び戻されたとき、一緒に帰ってしまったのか?

そんな手落ちを叔至がするか?

答えは否。
とすれば、この屋敷の静寂は、それだけで怪しい。
斐仁はあれから、ここへ帰ってきたのだろうか。

陳到の話どおり、あちこちに金のかかっていることがすぐにわかる屋敷であった。
庭の風情からしてそうだし、調度品から建具のしつらえに至るまで、豪族並みの贅沢ぶりであった。
いくら金持ちの親戚の遺産があろうと、ただの兵卒が、これほどの不動産を維持できるものだろうか。
やはり錠はされておらず、中に入ると、戦場で嗅ぎなれた、血の臭いが鼻腔をついた。
どくん、と耳元で心臓が跳ねたような音がした。
静まりかえった屋敷のあちこちに、人が倒れていた。
どれもみな、死んでいる。
中には、陳到の部下の、あわれな姿もあった。
惨劇に気付き、屋敷へ飛び込んだものの、逆に討たれてしまったのだろう。
女も男も、年よりも子どもも、関係なかった。屈んで、その身体に触れると、まだ温かい。
息をしている者がいないかと淡い期待を寄せ、ひとりひとり、様子をのぞいたが、みな息絶えていた。
見事な手際である。どれもほぼ一撃で、急所を狙って絶命させている。
下手人は複数だったのか、あるいは単独だったのか、まだわからないが、斬り口がどれも似ているので、複数だったとしたら、おなじ場所で鍛錬を積んだ仲間同士なのだろう。
そこいらにある豪奢な調度品には、なにひとつ手をつけておらず、家人に服の乱れはない。盗賊のしわざではない。

がたり、と物音がした。
振り返ると、斐仁であった。
全身、雨に濡れた姿で、みな死に絶えた、おのが屋敷をぼう然と見回す。
そうして、ただ一人、生きている趙雲に、ぴたりと眼差しを当てる。
そして、押し殺した低い声で、うなるように言った。
「貴様も、壷中の人間であったか!」
「なんだと?」
「これが代償というわけだな!」
吠えるように言うと、斐仁は討ちかかってきた。
趙雲はそれを受ける。

人を斬ることに慣れている。
最初に抱いたのは、その印象であった。
迷わず、相手の急所を狙い、わずかな隙も見逃さず、すばやく白刃を繰り出してくる。
ただの東の蔵の倉庫番ではなかった。
大人しい部将、というのは仮の姿であったというわけだ。
「斐仁、誤解だ。おまえの家族を殺したのは、おれではない!」
「だまれ! 言い訳は無用!」
はげしい怒りに取り付かれた斐仁の刃は、そのひとつひとつが、疾風のようであった。
さすがの趙雲も、その気迫には、受身にならざるを得ない。
なにより趙雲は、斐仁を殺したくなかったのだ。

今まで起こった出来事が、なにひとつうまく繋がらない。
殺された娼妓、
娼妓を殺したという風狗、
その風狗を追って許昌からやってきた朱季南、
朱季南を殺そうとした斐仁、
斐仁の家族は皆殺しにされ、
斐仁はそれが趙雲のせいだと思い込む。

ぎん、と刃と刃が組み合った。
力のぶつかり合いになり、趙雲と斐仁はしばらく真正面からにらみ合う。
「斐仁、聞け。おまえの家族はおれがここに来る前に、もう死んでいた。
それに、なぜおれがおまえの家族を殺さねばならぬのだ!」
「知れたことを! こちらも迂闊であった! 
劉備の側に、壷中の人間がいる、という話は聞いていたが、まさかそれが貴様だとはな!」
「壷中?」
「いまさら、白を切る気か!」
 その中年太りの兆候さえみせはじめている身体の、どこから力が出たのだろうと、不思議なくらいに強い力で、趙雲は跳ね飛ばされた。
すぐさま斐仁の刃が、脳天めがけて降ってくる。
これをかわすが、斐仁の攻撃は止まない。
じりじりと、中庭に追いつめられる形で刃を避けていく。
もはや、どんな言葉も怒りに燃える斐仁の耳には届かない。
何を考えているのかわからないと、仲間内で評されていた男が、はじめてはっきりと表現した感情が、殺気と怒りであった。

ふたたび、刃が繰り出される。
趙雲は中庭に面した廊下の柱に手をかけて、それを支えに、大きく身体を逸らせると、その反動を活かし、欄干に登った。
さらに足をめがけてやってくる刃をかわし、そのまま斐仁に飛び掛る。
地面にもんどりうった斐仁の剣を持つ手首をまず押さえ、つづいて、膝で、両肩を押さえこむ。
それでもなお、斐仁は抵抗をやめなかった。
「聞くぞ。壷中とはなんだ? おまえはいま、主公の側に壷中の人間がいる、と言ったな」
「たわけたことを。ぬかったわ。貴様も、もとは貴門の出。連中同様、下賤の者は、虫けら同様に扱える人間であったな。
おれを口止めしただけでは足らず、恐ろしくなっていまさら命を奪おうというのか!
昨夜の刺客は、貴様が放ったものであったのだな!」
「刺客?」

そこへ、表のほうから叫び声が聞こえた。
「子龍殿! 何処におられるか!」
陳到であった。趙雲は、思わず陳到のいる方向へ顔を向ける。
ほんの一瞬、力が弛んだことを逃さず、斐仁は趙雲の手から逃れた。
「待て!」
これは何事でございますか、といいながら、入ってきた陳到は、中庭で、むささびのごとくひらりと身を飛び上がらせ、屋根に上った斐仁に目を見張る。
「斐仁、おまえ、何事だ、これは!」
「叔至も仲間か。ずいぶん騙されてきたものだ。趙子龍、この仕打ちは決して忘れぬぞ。
この復讐はきっとする。おぼえているがいい! 樊城の仲間に、目に物みせてくれるわ!」 
言い捨てると、斐仁は霧雨の降る夜の闇の向こうへと飛び去っていった。
「いま、奴は、樊城、と言ったのか?」
「はい、それがしもそう聞きました。子龍殿、これはいったい、何事でございますか? 斐仁に、何事が起こったのです?」
「わからぬ」
さっぱりわからない。
足を悪くした、有能な官吏。
そう思っていただけに、今夜の豹変ぶりは趙雲の混乱をさらに深めた。
子沢山で養うのが大変だと、笑いながらこぼしていた男と、さきほどまで、鬼神の形相で刃を交えた男が、同一だとは思えなかった。
「ともかく、ご無事でなによりでございました。お一人であったのは、残念ですが」
そういわれて、ようやく趙雲は、陳到の家に置いてきた朱季南を思い出した。
趙雲の表情で、察したのか、勘の良い陳到は、ぱっと平伏し、問われる前に答えた。
「申し訳ございませぬ。目を離したわずかな隙に」
「逃げたのか」
「阿片中毒と見くびっておりました。しかしあの症状はほんもの。遠くまで逃げることはできまいと追ってきたのですが」
阿片の中毒は、長い。
短くても三日、長い場合は七日以上つづく。
人間が罹りうる、ほどんどの病の症状が、一気に吹き出たのではないか、というくらいにはげしい苦しみがその特徴だ。
手足のしびれ、頭痛、嘔吐はもちろんのこと、下痢、幻覚、眩暈、高熱と、身体の自由を奪うのに十分な症状がいっせいにあらわれるのだ。
逃れるためにはふたたび阿片に頼るか、あるいは、阿片が抜け切るまで耐えるしかない。
そんな身体で、どこへ行ったのか。

斐仁が言った『刺客』とは、朱季南を指すのか? 
とすると、壷中とは、曹操と関わりのある組織なのか。
だとすると、樊城がなぜ出てくる。
劉表の居城である樊城が。…


嫌な予感がした。
それまでにない、不吉で重苦しい予感であった。
「叔至、おまえは朱季南を探してくれぬか。
おれは、斐仁を追う。おそらく樊城へ向かったのだろう」
「御意。お気をつけめされよ、子龍殿。どうも今宵の新野城は、みなおかしい。嫌な予感がいたします」
「うむ。万が一にそなえて、おまえも家に護衛をつけておけ。それと、おれが留守のあいだ、軍師の御守りをたのむ」
「それがいちばんの大仕事ですな。みなが、嫌がるさまが、いまから目に浮かびます」
すまぬ、と言い捨て、趙雲は、その足で陳到の屋敷につないでいた愛馬を引き出し、樊城へと向かった。

つづく…
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小説
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