松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

ノーベル賞選考委員は、はみ出しもんの集団か。

2016-10-14 06:53:43 | 日記・エッセイ・コラム

 気に入らない。やっぱり気に入らない。なんでフォークシンガーが文学賞?

 それはボブディランは後の音楽に与えた影響は少なくない。日本の音楽シーンを考えても、あの頃のフォーク全体に影響を与えた。中でも直接ボブディランの名前が出てくる吉田拓郎、ガロの「学生街の喫茶店」。

 拓郎は「私は狂っている」の歌詞をそのまんま「風に吹かれて」をヒントに作ったに違いない。「誰かが聞いた お前は何のために生きているの するとボクはこう答える 体裁つけて」結局その答えは言わない。なぜならその答えは風に吹かれて飛んで行ってしまったから。

 どうもノーベル賞というのは、時代に抵抗しなきゃいけないらしい。それが「新たな一時代を築いた」「新しい作風」「新たな価値観」となるらしい。まったく持って、自虐的な賞だ。自己否定の賞だ。ダイナマイトが人殺しに使われたから? だって最先端の技術はいつも善悪の両面を持っている。特効薬だってそうじゃない。副作用が必ずある。要は使い方でしょう。

 文学賞が歌手に送られる?冗談じゃない。文字で日々新しい表現を模索している人々を、どう考えているの。音楽に言葉を乗せたらそれはメッセージ性は格段に高まりますよ。だけど純粋文学をなめちゃ、いけませんよ。あとSFや、ちょっと外れた小説も、どうも枠外らしい。それもおかしいじゃ、あーりませんか。

 結局のところ「ノーベル賞」も「オリンピック」と同じ、崇高な理想が地に落ちてしまって、ただの「賞」(ショー)に成り下がってしまったのだなあ。

 審査員もボブディランにかぶれた世代に違いない。

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