No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

渋谷SWINGの思い出

2014-10-22 | 音楽
在りし日のマスターと、その猫へ捧ぐ


21世紀を迎えた年のことである。僕は渋谷の奥まった通りで、記憶を頼りに、その店を探していた。おおよその場所は身体が覚えていて、勝手に足が進む。だが、込み入った通りに入ると、辺りの景色が以前とは異なっている。最後にそこを訪れてから、かなりの日時が経過していた。それでも僕は何度も周囲をグルグル周って、やっとその場所を特定した。そう、やはり店はもうそこに存在しなかった。自分の中の何かが失われてしまったことを思い知る。時は流れたのだ。

僕が探し求めていた店は、20世紀に渋谷で営業をしていたジャズ喫茶「SWING」という。

学生時代から社会人生活の初期まで、僕は都合9年間に渡り東京で生活をした。ジャズ好きの僕は、その間、数多くのジャズ喫茶に遊びに行った。総数でいけば優に20店舗以上にはなると思う。東京には数多くのジャズ喫茶があった。下北沢の「マサコ」がホームグラウンドで、神保町の「響」、高田馬場の「イントロ」、銀座の「ジャズカントリー」なんかには数えきれないほど行った。ジャズ喫茶は、必ず地名と一緒に表現される。四谷の「いーぐる」とか、新宿の「DUG」といった具合だ。有名なジャズ喫茶が一つの街に複数あるケースもある。吉祥寺の「MEG」、「A&F」、「ファンキー」等の場合で、それぞれのファンというか派閥みたいなものがあった。今風にいえば、「押しメン」か。

今回の話は、数ある東京のジャズ喫茶の中から、渋谷にあったジャズ喫茶の話である。渋谷は、当時から若者の町、そして深夜早朝まで人通りが絶えることのない街だった。もちろん、それなりに物騒な街ではあるが、現在よりは遥かに安全で遊びやすかったと思う。六本木なんかと比べればカジュアルで気楽な街なので、週末ともなるとまさに人で溢れかえっていた。夏の季節には、薄着の女性の汗と香水の匂いの入り混じった独特の空気が辺りを満たし、様々なエネルギーをモロに身体に受けた。頭がボーッとして、熱に浮かされるようになってしまうのだ。僕はその渋谷で、レコードを買ったり、本を買ったり、友達と居酒屋で酒を飲んだり、女の子とショットーバーでデートしたり。様々な用事で出かけて遊んでいた。それだけ馴染みのある町ではあるが、渋谷に行くということは、街全体が発する熱に飛び込むことを意味し、少し疲れてしまうのも事実だった。
その渋谷に「SWING」というジャズ喫茶があった。ただでさえゴミゴミした渋谷の街でも、特にゴミゴミした一角の雑居ビルに居を構えていた。その昔は知らないが、僕が行った当時のSWINGは、プロジェクターでジャズビデオを投影するジャズビデオ喫茶だった。真っ暗な店内に巨大なスクリーンだけが光り、そこで古くさい映像を見ながら珈琲を啜ったり、ビールを飲んだりするのである。ビデオは得てしてモノクロであり、8ミリ映画なみの画質のものも多かった。また、ジャズだけでなく、ブルースや古いロックのビデオが流れていることもあった。店は老齢のマスターが切り盛りしていた。時には、マスターの娘さんと思われる黒髪の美女がウェイトレスをしていた。そして店内には飼い猫が、マスターの近くで静かに寛いでいた。真っ暗な店内、特に美味しくない珈琲、無口なマスター、古くさいビデオ。そしていつの間にか僕に懐いた猫。それだけの店だったが、それが僕にとって居心地のよい場所となり、渋谷での避難小屋となったのだ。

その後、社会人になってからも、折に触れてSWINGに通い続けた。マスターとは特に会話をすることもなかった。来店するとマスターは無愛想にうなづき、黙って珈琲を出すようになった。ビールやコーラを飲むときは、マスターが珈琲を出す前にこちらから断わらなければならない。後はたまに「外は雨ひどい?」とか天候の話をするだけである。でも、その距離感が逆に僕にとっては心地よかったのである。猫も相変わらず大音量の店内で寝ていて、僕を見つけると膝の上に乗ってきた。そして、そんな日々が数年続いたあと、僕は東京から地方都市に転勤することになった。結果的に、それが僕にとって東京との別れになった。
詳細は割愛するが、僕は転勤先で会社を退社し、その後本社が関西の、別の会社に転職した。転職先の仕事にも慣れ、いつしか今度は出張で日本全国各地に行くようになっていた。東京を離れてから、気が付けば結構な年月が経っていた。当然その間も、東京も出張で何度も訪れている。出張先の事務所は渋谷区内にあった。行こうと思えば、行けた筈なのに何故かSWINGに行かなかった。
いや何故かではない。敢えて行かなかったのだ。僕は、SWINGが無くなっていることが怖かったのだ。店がなくなることで、自分と東京との結びつきが断たれてしまうのではないか、それが怖かったのだ。

そして、僕らの時代、太陽の光を反射した真珠の粒のような20世紀は終わりを告げた。かわりに腰痛持ちの事務員みたいな憂鬱な顔をした21世紀がやって来た。いよいよハッキリさせなければならない時が来たことを悟った。自分の中の「何か」と決別する時が来たのだ。その「何か」が何を意味するのかは自分でもわからなかった。初冬の肌寒いある日、僕は東京に出張し、日帰りができるのにも関わらず適当な理由をつけて渋谷に泊まることにした。その夜、重い腰を上げて、SWINGがそこまだあるのかどうか、探しに行ったのだ。無いのは分かっていた。無いことを自分で確認したかったのだ。そして、SWINGが無くなっていることを、この眼で確認した時、僕の若かりし日々は終わりを告げた。同時に紐の結び目が解けるように、東京と僕の結びつきが切れたのである。

昔、SWINGというジャズ喫茶があった。そこに通っていた人は、今どうしているのだろう? ただの一人でもいい。僕のブログを見てくれる人がいるだろうか。ただの一人でもいい。あの猫のことを覚えていてくる人がいるだろうか。

写真:Mcintosh MC7270 (EOS 6D / EF40mm F2.8 STM)



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51 コメント

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Unknown (freecat2828)
2014-10-22 20:56:51
ジャズ喫茶はそうたいして行ってないし渋谷にスウィングがあるとは知りませんでした。
今検索すると再オープンしてるようです。
http://www.shibuya-swing.com/
こちらが6×6さんの懐かしきお店と同じかどうかわかりませんが・・・
それにしても猫に懐かれたりして、いい思い出だったんでしょうね・・・

こちらがジャズ喫茶で自由が丘の5スポット以外行ったといえば新宿のDIGとDAGぐらいかも・・・
それでも六本木のバードランドとか銀座のスウィング、横浜のエアジンやストークなどライブをやってるほうへたまに行ってました。
ジャズを聴くというより飲んだ帰りふらっと入るという感じで、今のようにイベントじみた感じで行くことなどなく、日常の一部という普通の感じで行ってましたね・・・
横浜には外人向けのバーが数多ありますが、その先駆け的存在でスリーネイションというピアノバーがありました。
そんなところで気取ることなくジャズを聴いてましたね~

freecat2828さん (6x6)
2014-10-23 07:47:06
貴重な情報ありがとうございます。
詳しく調べてみたら、店としては別なのですが、「名前」は、旧スイングのマスターの娘さんの承諾を得て、継承したということでした。
僕は、行くことは出来ませんが、珈琲1杯500円とのことで、機会がありましたら是非。

詳しいことは分かりませんが、元々は銀座のスイングを出店したマスターが支店として出店したのが、渋谷スイングだそうです。
一度飲んだ後に、銀座スイングに行ったら、クラリネットの北村栄治さんのライブ中。途中で寝てしまい、「俺の演奏は、そんなに気持ちいいか?」と笑いながら言われたことを思い出します。
でも、freecat2828さんも、色々行かれていますね。
Unknown (carmenc)
2015-11-18 13:18:55
百軒店のどこかのジャズ屋に行ったことがある筈ですが、もしかして入らなかったのか記憶が薄過ぎて思い出せません。デュエットあたりに入ったのかなあ…
所で渋谷SWINGについて語ってるサイトがありました。店主の宮沢氏のことも書いています。もうご覧になってるかもしれませんが、
http://www.odjc.com/bourbon/bourbonstreet34.html

私も行きつけのジャズ屋が消えて、あの頃の常連たちはどうしてるのかと寂しい思いをしております。
carmencさん (6x6)
2015-11-18 18:32:04
貴重な情報ありがとうございます。
リンク先は、見たことありませんでした。平成19年までご存命だったんですね。感慨深いです。

>私も行きつけのジャズ屋が消えて、あの頃の常連たちはどうしてるのかと寂しい思いをしております。

僕も東京を離れ、20年が経とうとしています。思いは全く一緒です。百軒店のジャズ喫茶、何回か行ったことのある店があるのですが、名前が思い出せません。ちなみに、僕のホームグラウンドは、下北沢のマサコでした。
Jazzの思い出 (安藤 博)
2017-09-24 06:52:28
渋谷スイングは憩いの場所でした。宮沢さんから電話で「今日ジョージルイスが店に来るよ」と聞き、アメリカンミュージックなどのレコードを持参して出かけルイスと話しながらサインしてもらった懐かしい思い出があります。
宮沢さんのお嬢さんも恐らく私のことを覚えていると思いますが、もし連絡先が分かりましたら教えてください。
私のメールアドレスは下記の通りです。

hiroshi@pldtdsl.net
安藤 博さま (6x6)
2017-09-24 11:10:42
コメントありがとうございます。とても嬉しいです。
皆んな(当時親交があったわけではないですが)どこに行ってしまったんだろうと切ない気分だったので、スイングを知る方からコメント頂き感謝です。当時が懐かしく蘇ります。

私は今は秋田県に住む身なので、東京のことは遠くなってしまいました。情報は何もありませんが、もし何かあればご連絡申し上げます。安藤様も何かあればお教え下さい。また当ブログにも遊びに来て頂ければ幸いです。

追伸:偶然ですが、今週末に何年振りかに東京、しじかも渋谷に行きます。不思議なものですね。
トラディショナルJazz専門店がなくなった (安藤 博)
2017-09-27 11:58:18
スイングが銀座にあるときから通ったものです。
渋谷の店は3度移転しましたが最後の店は私の好みとはかけ離れてしまいました。水道橋スイングのオーナーは私の家に来てレコードコレクションの中から数枚を持ち帰りました。ニューオルリンズへ行きプリザベーションホールへも行きましたがジュージルイス他界後のことで寂しかったです。渋谷へお出かけだそうですが古典Jazz店がないのは寂しいですね。私が若ければ人が入らなくても古典Jazz店を開いていたでしょう。
安藤博様 (6x6)
2017-09-28 07:04:58
元の職場が有楽町でして、銀座スイングにも数回行きました。僕はモダンジャズ派で、トラディショナル系には明るくないのですが、北村英二さんのライブではあまりに気持ち良くて寝てしまうという失態を犯しました。
当時は、銀座、水道橋、渋谷のスイングの謂れなど全く知りませんでした。ジョージ・ルイス、以前から気になっておりました。その筋の方が必ず名前を出します。聴いてみます。

追伸:今週から、アンプを入れ替えて(高域側)、真空管アンプを灯けました。秋が来ました。お身体にはご自愛ください。
Jazz談義 (安藤 博)
2017-10-15 08:07:42
私は真空管アンプを自分で作るのが趣味でした。
最初は2A3、次に807で作りました。
トランジスターでは味わえない音が魅了です。

インターネットの普及により昔は入手困難であった
古典Jazzが聴けるようになったのは嬉しいです。

安藤 博さん (6x6)
2017-10-15 18:44:35
自作できる方が羨ましいです。僕の場合、6550(KT88)のモノラルアンプですが、ちょっと何かあっても自分で直せないので大変です。
それでも真空管アンプの魅力を知ってしまうとやめられません。

インターネットによって、オーディオのこと、ジャズのこと、情報が本当に手に入るようになりました。昔は、誰かに聞くしかなかったのに・・・。

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