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レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

今川小路〜小さな小さな奇跡

2017-10-01 | 街:東京






所用があり東京に行ってきた。時間の制約のなか、初日の夜に神田の今川小路を見に行った。今川小路とは神田駅近くのガード下に残る古い小さな飲屋街で、「戦後」という言葉を体現したような小路で、実際にその頃から何も変わっていないような場所だ。僕が今川小路に行った翌日の土曜日、今川小路が間も無く閉鎖されると産経新聞が報道した。

今川小路と僕の間には、それほど深い繋がりがある訳ではない。5〜6回ほど飲みに行ったことがあるだけだ。でもそのことを今でも折に触れて思い出す。僕が社会人になって最初に配属になった職場は有楽町(日比谷)だった。そこに直属の上司ではないものの、実務に長け面倒身の良い先輩がいた。仮にA課長代理としよう。A課長代理は、40代半ばか後半だったと思う。新入社員の僕からすれば随分と大人に見えた。僕がいた部署では男性社員が少ないこともあり、皆仲良くやっていた。終業後飲みに行くことも多かった。行くのは当然、有楽町のガード下とか、銀座の安い居酒屋だった。そんなある日、A課長代理は「たまには二人で飲みにいこうや。行きつけの場所があるねん」と飲みに誘ってくれた。それが今川小路だった。当時は大人のおっさんとサシで飲んで何を話せば良いのだろうなんて不安になったが、行ってみれば杞憂で楽しい時間を過ごした。僕はA課長代理のことが好きになった。それを機に何回か二人で今川小路に飲みにいった。


それから一年くらい経ってからだと思うが、A課長代理はある不祥事に巻き込まれる。突然自宅待機を命じられてしまった。ある会社との契約で不正資金のプールに協力したという疑いだ。詳細は割愛するが、この案件は代々引き継がれてきたもので、10年以上に渡って継続されてきた話だ。部署内では周知の件で、A課長代理はそれを引き継ぎ、むしろ解決の一歩手前まで持ってきていた。ところが、なぜかその責の殆どを一人で負わされたのだ。所属長は信じられないことに「全く預かり知らなかった」と証言したという噂も流れた。僕はどこかで誤解が解け、A課長代理は復帰するものと信じていた。ところが周囲からは、A課長代理は懲戒解雇されるという噂が聞こえてくる。結局、10日ほどの期間を経て、A課長代理は都内の他の地域に転勤となった。引き継ぎも挨拶もなしの転勤だった。クビだけは回避された左遷だった。
転勤先は、それほど遠い場所ではなかった。同じビルには仲の良い同期社員もいた。同期から情報を得て、僕はA課長代理に会いに行った。出口で待ち伏せしたのだ。久しぶりに会ったA課長代理は、弱々しく見えた。「おっ?久しぶりやな。どないしたん」。「どないしたんじゃないですよ。心配しましたよ。でも元気そうで良かった」。「心配かけてすまんかった・・・」。「・・・」。言葉にならない。「そや、久しぶりにあそこ行こか」A課長代理は、やっと笑顔を見せた。僕たちはまた今川小路行ったのだ。そしてそれが僕が今川小路で飲んだ最後の機会だった。その場では部署の近況を訪ねられたり、懐かしい話をしたり、家族の話を聞いたり、難しい話は出なかった。「わしも今のところで頑張るわ。そのうちほとぼりも冷めるやろ。娘もまだ学校やし、家のローンもあるしな」とA課長代理は寂しそうに笑った。A課長代理が会社を辞めたと聞いたのは、それから一ヶ月も経たない頃だった。

そんなこともあり、今川小路にその後、一回も来たことがない。それが今回の東京行きの際、何故か「今川小路」が頭に浮かび、行ってみることにした。店には入らなかった。ただ立ち寄っただけだ。小路は当時と何も変わっていないように思えた。僕は久しぶりにA課長代理のことを思い出した。もう70歳を超えていることだろう。でも僕の中では40代半ばの眼鏡を掛けた優しい笑顔が浮かんでくる。次の日、今川小路が閉鎖されるとニュースで知った。お別れにきたのだと思った。こういうことを言ってよいのか躊躇されるけど、さようならA課長代理、さようなら今川小路。


X-PRO2 / XF23mm F1.4R

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