もう好きに生きよう

球磨川と列車(いさぶろう・しんぺい)

余白も使い方

2017-01-30 23:38:23 | 日記

日中高かった気温も、夜には普通に寒くなりました。

草履履きで出かける足は、冷たい風にはやはり冷たく感じるのです。


そんな今晩。

「どんな勉強の仕方をしているのか」の話になりました。


今は習い事や学習塾で、毎日塞がっている子が普通に居ます。

そんなにやっても、どれも中途半端で終わると思うのですが、本人と親が望むからそうなるのでしょう。


勉強は学校と塾の二重二又。

それならさぞかし成績も上がる?でもないようで、現実は厳しい。

子供たちに聞いても、本音は塾になんて行きたくない様子。

だったらどんなにお金をかけても、本人嫌々塾では成績も上がらないでしょう。



私見ですが、そこら辺の国立大に入るためなら、塾は高校生になってからで十分です。

私立校はどうか知りませんが、地元公立高校入学程度なら塾は必要無し。

小・中学で塾通いをしないと成績維持出来ない子なら、元の出来がその程度なのです。

有名私立校に行かなくても、あの赤門大の理学部(素粒子物理)へ入れるとは会の子が実証してくれましたし、その子は高校生になってからの塾通いでした。

小学生時代から見て来た感想は特別秀才とも思えずで、その子なりの勉強方法を見つけたのでしょう。(忍耐強い子でしたが)



その勉強方法ですが、私は長男のノートの中身を見た事がありません。

授業中に教師が黒板に書くのを書き写す、あのノートです。


今の地に転居した後、旧宅に残された教科書類をどうするかとなりました。

すでに地元に居ない本人に確認したところ、「処分して良いよ」となって整理にかかったら、ノートが無い。

正確には数冊有るのですが殆ど書いていない。

開いた形跡さえない物がある。


後日事情を聞いたら、「使ってなかった(書き写してなかった)」と言うのです。

教師に「ノートは・・」と問われても取らなかったそうで、どうしても提出に必要な分だけで済ませたらしい。


ではどうしたかと言えば、重要と思われる部分だけを教科書の余白に書いていたとか。

そうすれば教科書とノートを別々に持つ、後で見る時も二つは必要は無いのだそうで、言われてみれば合理的。

余白も使い方ですね。


思うに、ノートは復習時に役立つから取るのであって気休め用ではない。

一生懸命書き写して、それだけで勉強した気分になるためにあるのではない。


以前も書きましたが、部活や塾で疲れて帰って来て、それからノートなんて開く気にはならないでしょう。

「塾でまで勉強したくない」と行かずの長男は、書き写しノートを使う気はなかったのです。

それより授業中、一番前の席で教師の話を聞くことに集中していた。

その方が、家で復習するより効率良いと分かっていたのです。



多分長男は、少しだけ頭の出来が良かったのでしょう。

授業中聞くだけで理解できたと言いますし、中間や期末試験より業者模試の方が結果良かったのです。

試験最中でも稽古には連れ出しましたし、だからと成績か落ちたとも聞かなかった。

一切塾にも行かず教材の類も使わず、中3時の偏差値は70にちょっと届かない程度でしたから、地元の公立高校や国立高専には難なく合格できました。

そうそう、上の赤門君達が中学時代。

稽古休憩時間に、体育館の黒板で数学を教えたのも長男でした。



そんな訳で教科書類は、知った近所の大学生が家庭教師用に貰って行きました。

要点が纏めてあるので、教えるのにとても都合良かったそうです。

そしてその大学生が教えた子は、地元高校から九州内の国立大へ。


その家庭教師大学生ちゃん。

今はN〇Kである時間帯の、ニュースの顔になっています。




小学生in
中学生in



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