<福沢諭吉先生の『脱亜論』>
友人から、福沢先生の『脱亜論』について聞かれました。
【 我が日本の国土は、アジアの東端に位置するが、国民の精神は既にアジアの固陋(ころう)を脱し、西洋の文明に移っている。
しかし『不幸』なのは、『隣国』があり、その一を支那といい、一を朝鮮という…。
この二国の人民も古来、アジア流の政治、宗教、風俗に養われてきたことは日本国民と変わらないが、『人種』の由来が異なるのか、あるいは同様の政教・風俗にありながら、「遺伝教育。」に違うところがあるためか、支那朝鮮はお互いによく似ているが、一方、日本とはよほど異なっている。
この二国の者たちは、一身上も、また自国に関しても、『改革』や進歩の道を知らず、古風な慣習にしがみつくさまは「百千年。」の昔と変わらない。
一から十まで『外見』の虚飾にこだわり、実際においては真理や原則を知ることがないばかりか、道徳さえ「残酷破廉恥。」を極め、なお『傲然』として自省の念なき者のようだ… 】
(続く)