黒鉄重工

◆プラモデル製作、旅行記掲載などをやっています
◆カナダ記事の2周遅れと帰国後記事の周回遅れをどうにかしたい

北米project 4 ~Is the order a warbird? その21【2016/03/04~10】

2017-08-10 21:19:25 | 海外旅行記

ヤンクス航空博物館レジェンドハンガーの第二次世界大戦編の続きです。
∑b(●ゝω・)する虎の絵がイカしているこいつはノースアメリカンB-25Jミッチェル(1940年・46機目)です。この博物館、サブタイプの細かいところまで解説されていて、それによるとJ-30NC型だそうな。生産ロットの番号なんだろうけどよく分からん。
B-25はアメリカ陸軍の双発中型の爆撃機でして、1万機にちょっと届かない数が生産されたこの時期を代表する爆撃機のひとつです。本来運用が考慮されていない空母にムリヤリ乗せて東京近海まで繰り出し、東京を空襲するちょっかいを出す無茶をしたドゥーリットル空襲の参加機として有名です。ここの解説にもそれが書いてありました。現存しているB-25はだいたいコイツの愛称で知られるアイツことJ型はB-25の最終生産型です。
経歴を見てみると、これは1945年7月に就役・・・もうドイツ降伏してるし。その後1946年に練習機のTB-25に改造されて双発機操縦の基礎訓練に使われたそうな。



後ろ。
後部機銃が抜けてるけど仕様なのかしら?



説明板がなかったので当時は誰だか分かりませんでしたが、今見返してみると普通にこれ前回出てきたN3Nの陸上機版(47機目)ですね。
これは3型、つまりN3N-3だそうです。水上機と陸上機で型式が分けられているわけではないですね。見比べてみると車輪を付けてるか浮きを付けているかの違いしか無いです。そりゃそうでしょうけども。
車輪と浮きは簡単に取り替えっこできるのか気になるところですが、そういった記述は見当たらなかったので不明。出来なくはないと思うんですけどもね。



アメリカのご家庭になら園芸用に1家に1台ありそうな小型ブルドーザー。解説がないので確証はないですが、クラークCA-1空挺トラクターでほぼ間違いないと思います。
アメリカ製にしてはやけに小さいのは、C-47輸送機(表に置かれていたアレ)とそれに曳航されるGC-4使い捨て輸送グライダーに搭載できる大きさが仕様として求められていたからです。なので"空挺"トラクターなのです。
見ての通り幅5ftのドーザーブレードが付いています。これは主に飛行機の滑走路建設に使われていたようです。
これについて取り上げられた話をすると、1944年3月日本軍の勢力下に近いビルマのジャングルにCA-1、技師、荷を運ぶための動物(牛か馬だろう)、照明、他移動に必要な装備諸々を積んだグライダー30機が着陸したんだそうな(人員装備の数までは未記載)。で、彼らは1日も経たないうちにC-47が離着陸できる1,500mの滑走路をこれを使って建設してしまったそうで。
日本人が手作業で温かみのある滑走路を時間かけて造っているうちにアメリカ人はこれなんだから、まあそうね・・・。こういうところでも勝つ負けるというのは出てくるんでしょうね。

ついでに脱線すると、GC-4というのは、ヨーロッパ戦線への空輸の輸送力不足に悩んでいたアメリカ軍が、その解消のために前々回までの複葉機軍団で時々出てきたワコー社に開発させたものです。残念ながら実機やレプリカを見たことがないので写真はない・・・と思ったら復元中の機体が程なくして出てきます。
輸送の他、強襲にも使うつもりでいたのでできるだけ安上がりにしたかったのでしょう、機体は羽布張りで骨組みも金属はできるだけ使わず木製でした。ここら辺はその手の機体を多く手がけてきたワコーの得意とするところでしょう。
搭載量は3.4tと中々大きくて、これだと兵員13名(+乗員2名)、ジープ1台(+乗員2名、兵員4名)、75mm榴弾砲(+乗員2名、兵員3名、弾薬18発)のいずれかを輸送できました。
使い方は豪快で、ほぼ使い捨てでした。いくら安そうだからってカネがかかりそうなものでして、金持ちのアメリカでしか出来ない運用だと思います。
なお生産数は約13,900機とこれでもP-51やBf109などが居並ぶチーム1万機軍団の一員です。C-47とC-46の全生産数足してどっこいどっこいか?という数字なので、使い捨てという話はどうも本当らしいぜと思うしか。
この数字は例の大量生産バカことフォード社もミシガン州の工場で4,200機ほどをバカスカ生産していたからです、はい。GC-4は15社ほどの会社で生産されていたのですが、このうちフォードだけで全体の3割を製造している計算になります。当然この中ではダントツの生産数です。
この時期のフォードってこれ以外にも相当な数の兵器を生産していて、当時のアメリカの物量を支えたのはフォードの力があったのは間違いないのです。

・・・すげぇ脱線してしまった。次行きますよ。



連合軍の馬車馬ことジープ。おなじみ大戦中の初代モデルです。
すでに何度か言っていますが、ジープにはウィリス製とフォード製があるのです。が、両者は見分けがつかないくらい似ていて、説明書きがないこの状態では判別がつきません。なのでこれ以上は何も言えない。
ひとつ言うとすれば、このジープは今のCA-1でも感じたようにアメリカが造った自動車にしてはちっちゃいのです。なんでだろうと前から不思議がっていましたが、CA-1の小ささが輸送機に積める上限から逆算されたものだとすると、このジープにも同じことが言えるんじゃないかと今気がついたのです。まあ私の推論なんでアレですけど。



誰だコイツシリーズ、スチンソンL-5センチネル(1939年・48機目)。センチネル(Sentinel)は監視員とか歩哨の意味。でも区分的には連絡機なのだ(Liaison; 連絡、通信)。ガンダムシリーズの中に「ガンダムセンチネル」って作品がありますけど、日本語だと「ガンダム歩哨」になるのか・・・。
「空飛ぶジープ」と言われるくらい使いやすかったようで、短距離離着陸性能が良く、偵察、救助、輸送などに使われたとか。生産数は約3,900機。
この手の機体のだいたいは元々民間機だったものを流用した場合だったりするのですが、L-5はそういった流用元がいない軍用機専用の機体だったそうです。



カーチスO-52オウル(1940年・49機目)
この時期のアメリカ陸軍は高翼、四角い胴体、固定脚の形をした似たような連絡機をいくつも制式化したことで一部で有名ですが、このO-52は覚えてしまえば後は一発か二発で見分けられるんじゃないのと言う見た目です。でもこれ、主脚の形状がF4Fっぽいからグラマン製かと思えばカーチスでした・・・。
アメリカ陸軍航空隊最後の”重”観測機として知られるこの機体(ワイは知らなかったけど)、着弾観測や偵察なんかに使われるつもりでした。が、1941年に就役したは良いもののその時には当時の戦争のやり方は先に進んでいて、第一次世界大戦の時みたいに上空からのんびり地上の様子を観測するなんてマヌケなことができなくなっていたために、ソッコーでいらない子になってしまいました。時代が機体を旧式化に追い込んだのです。
以降アメリカ軍の偵察機は、足の長さが必要になる戦略偵察は大型爆撃機からの改造機、速さが必要になるカメラ付きの強行偵察機は戦闘機からの改造機(この後出て来るP-38改造のF-5とか)、あとはこの機体の得意のするところだっただろう地上戦力と連携するための戦術偵察は民間機を流用したLナンバーの使いやすい軽飛行機(今見たL-5のようなやつだ)にそれぞれ取って代わられるようになったのでした。

生産数は旧式化が露呈する前にうっかり発注した203機だけで、実戦もろくに出ずに訓練に使われたそうです。現存機も3機しか無いのですが、そのうちの2機を今回見ることになります。なんとまぁ。



やはりここにもいやがったかT-6・・・あれ違う、これはヴァルティBT-13Bヴァリアント(1939年・50機目)だ・・・って誰だ?
アメリカ陸軍の練習機のひとつです。当時の陸軍の練習機の過程は3段階あって、訓練生が最初の操縦することになる初等訓練にはライアンPT-13/17/19練習機を、その後の中等練習機にこのBT-13が用いられるのだそうな。そしてその後の高等練習機に使われるのが御存知ノースアメリカンT-6テキサンでござんす。
この機体自体は知らなくても、映画「トラトラトラ」で九九艦爆に扮するべく改造された機体・・・となると思い浮かぶ人もいるかもしれません(翌日見ることになる
ちなみにヴァルティは1932~1943年の間に存在した短命な会社なんですが、ここの機体名はほとんどが”V"で始まる名前でした。会社名がVulteeなので機体の頭文字もVで統一しようという一種のシャレでした。イギリスではよく見られたものですね。



ロッキードF-5Gライトニング(1939年・51機目)
いやいやこれはP-38でしょ、F-5はジェット戦闘機でしょ!とツッコミ入れるやつは甘いぜ。これはれっきとしたP-38ベースの偵察機、F-5なのだ。F-5の現存機は結構レアじゃあないかな?
アメリカ陸軍航空隊のFナンバーはそれすなわち偵察機でした。上記の通り専用の偵察機が開発された例はほとんどなく、他の機体から改造されることがほとんどでした。それでも原型機の派生型とはせずに、Finderの頭文字を取ったFナンバーを新たに付番していたのでした。
この偵察機はF-1からF-15まで造られましたので、例えばみんな大好きグラマンの方のF-14やマクドネル・ダグラスの方のF-15は実は型式名だけ見れば2代目なのだ。
偵察機は敵の勢力下に侵入して位置や軍勢といった情報を持ち帰ってくるのが仕事です。なので、のんびりと飛んでいたら迎撃機に撃墜されてしまうゆえ、高速が出せる機体、要は戦闘機から改造される機体がほとんどでした。P-38、速いですからねぇ。
大正義アメリカ軍なら専用の偵察機を開発してもよさそうなものですが、そういったものは無かったようです。イギリスの偵察機も戦闘機からの改造ばかりだったはず。逆に日本は専用機を拵えていまして、なんだか興味深いです。
ちなみにアメリカ陸軍航空隊の戦闘機PナンバーはPursuit; 追撃の頭文字で、つまり戦闘機ではなく追撃機です。これは敵の爆撃機を追っかけて撃墜するための機体だったのが由来だったとかなんとか。



P-38の機首には機銃が満載されていますが、F-5には前方と左右にカメラが搭載されています。
このF-5Gは1945年7月に就役。これももう終戦直前ですか。当初は戦闘型のP-38Lとして製作されたものの、納品前にはF-5Gへ改造されていたようです。戦争が終わると軍縮により余剰となり、1946年には退役します。その後何故か1962年から2年間ホンジュラスで使われていたようです。カメラ搭載なのを活かして航空写真を撮影してアメリカから北極地帯に至るまでの地図作成に役立ったのだそうな。



機首には某ドナルドダック閣下のノーズアートが描かれています。
F-5は結構珍しい現存機のはず。



有名だし見慣れているから感覚が麻痺しているけれどよく見ると変な機体の形をしているP-38。
ただ、地上に置かれている状態だとその形状は掴みにくいです。背が意外と高くて見にくいなこの野郎という印象。でもこの胴体の細さはなるほどメザシかもなと思えます。



双胴を繋げる水平尾翼。この規模の双発機にしては尾翼の面積大きいよなこれ。成功したから誰も文句言わないけどやっぱ変な形だなぁ。
P-38はまた出てくるのでこの辺で。



リパブリックYP-47Mサンダーボルト(1941年・52機目)
これも珍しい機体でして、そこそこ残存しているP-47現存機の中でも唯一のM型です。現存するP-47の9割5分くらいはD型なので、それ以外の型式が見られたら基本的にラッキーと思っていいです。
P-47MはP-47Dの高速型みたいなものでして、ドイツ空軍がV1飛行爆弾やMe262ジェット戦闘機といった高速の兵器を実戦投入してきたため、それに対抗するために急遽開発されたものです。
エンジンをR-2800-57に、排気タービン(ターボチャージャー)を出力を上げたCH-5に換装したことで、高度約1万mにおいて戦時緊急出力2800馬力を出すことが出来ました。どんな数字かというと、この時日本は未だに2000馬力級エンジンをまともに開発できていなかったっていう感じです。ただ2800馬力って数字、一瞬だけ出た数字だろうから参考程度にするのがいいかなと(自動車のカタログ燃費みたいなものか?
ちなみに戦時緊急出力(war-emergency power)とは、数分に限って使用できるそのエンジンの持つ最大出力のこと。「ええい!かくなる上は・・・ポチッとな」という具合に押す最後の手段的なやつです。時間制限があるのは、あんまり使い続けるとエンジンがダメになってしまうのと、燃費が極悪になって燃料を食ってしまい、お家に帰れなくなってしまうからです。ジェット戦闘機のアフターバーナーみたいなものです(あれもせいぜい数十秒くらいしか使えない最終手段
で、その高度で出した最高速度は761km/h(473mph)だったそうな。多少高度などの条件は違いますが、P-51Dなんかよりも速いです。見た目はデブのくせして速いんだなコイツ。動けるデブか。ただこれも戦時緊急出力を使って出した瞬間的な速度の可能性が多分にあり。



前から。
この機体はYナンバー(資料によってはXナンバーであることも)なので、試作機です。試作機と言ってもまっさらな機体ではなく、D型からの改造機らしい。なので生涯のすべてをアメリカ本土で過ごしました。
上記の通りM型の現存機はこれだけ。配備が1945年になってからと言っても結構たくさん造っただろうに・・・と気になって生産数を調べるとたったの130機でした。あれま。これじゃシリーズ合計15,000機超えの前には割合1%未満ということになり、そうなるともう誤差でしかない数字ですね・・・。そりゃ残らないわ。
というか、量産型は全部がヨーロッパへ配備されたそうですから、終戦後引き揚げられずそのまま置いてけぼりにされて最後はスクラップにされた可能性すらありますね(終戦後のアメリカは軍縮アンド軍縮だったためにヨーロッパに展開させていた兵器を本土へ引き揚げさせるお金がなかった・・・なんて話をどっかで見たような

機体は1945年11月に退役したんだそうですが、その後個人の手に渡ってベンディクス杯・・・つまりエアレースに1947年と1948年の大会に出場したそうです。あー、またこのパターンか。高速機なのに目をつけられたんでしょう。
また大改造されたんだろうなと思いますが、ヤンクスが購入後に復元したようです。



機体の脇に置かれていたターボチャージャー。この巨大な過給器を単座戦闘機に装備していたというのがP-47の強みだったわけです。
ターボチャージャーについてはまたいずれ・・・。今回もたくさん書いてしまってもうへとへとだ。

これでレジェンドハンガーの機体は見終えたことになります。何機か紹介し忘れたのもあったかもしれませんが。
ここまで見てきて「おっ珍しいね」というのがちらほらあったのがお分かりかと思います。次回からは突撃隣の格納庫スターファイターハンガー編です。そこにも珍しめの機体がいましたよ。
というわけで今日はここまで。


その22へ→
『航空』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« マスキングテープと化した岳... | トップ | カナダの航空祭コモックスエ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

海外旅行記」カテゴリの最新記事