黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その24【2016/03/04~10】

2017-09-17 23:09:09 | 海外旅行記

後何回で終わるかまだ先の見えないヤンクス編。今回はベル社が多めです。
まずはベルUH-1Hイロコイ(1959年・62機目)。色恋・・・もといイロコイというのはインディアンの部族名です。アメリカ軍のヘリコプターはそこから名付けるのが通例だそうです。
他に「ヒューイ」という別名もありますが、これはUH-1の型式名が最初はHU-1だった頃、これをヒューイと読めたことから来ています。UH-1になったら読み方も「ウヒー」にでも変わりそうなもんですが。
H型はA~C型よりも胴体を大型化して容積を増したD型のエンジン強化版とのこと。

ベトナム戦争で使われたことで一躍有名になりました。これの任務はヘリボーンというヘリコプターを使った空挺降下の母機です。ヘリコプターとエアボーン(空挺作戦)を組み合わせた造語です。
ヘリコプターの機動性の良さとパラシュート降下とそのための訓練要らずの容易さが魅力ですが、反面低高度を静止しながら空挺降下させるので敵から見ればいい鴨であり、被弾する可能性が高いです。
その為空挺ヘリの護衛が必要になり、その結果生まれたのがUH-1に機関銃を積んだガンシップ(この機体が一応そうだ)であり、最初から敵をけちょんけちょんにするために開発されたAH-1コブラ攻撃ヘリコプター(奥にいる)なのだ。
それとここの説明によると、救難任務にも多く使われたようですね。



外付けの銃座。ヤンキー魂を感じる。
これはまだ可愛いもので、危なっかしいものになるとガトリング砲、ロケット弾をくっつけた物まであり、武装だけ見れば立派な攻撃ヘリです。



あら~、これは私の中で近頃(当時)噂になっているベルP-39Nエアラコブラ先生(63機目)じゃないですか。
これもここにあるとは思わず、嬉しい驚きが。珍しい機体なのだろうと思っていたんですが、この後巡る博物館でことごとくこれと再会しており、「ありゃ?案外どこにでもいる機体なのか?」とありがたみが若干薄れてしまいますが(実際には現存機は少ない方でして、珍しいことには違いないのだが
1938年初飛行のこれ、上記のベルの造った戦闘機のデビュー作となります。パッと見は一般的な飛行機に見えますが、実はなかなか面白い構造をしているのでござります。ネタ枠です。それをちょっと見ていきましょう。



1.エンジンがミッドシップ配置
胴体のど真ん中からなにやら排気管が飛び出ているのがお分かりいただけるだろうか。あれはエンジンの排気管なのです。それがこの胴体中央に収まっているわけです。
じゃあどうやってプロペラまで動力を伝えるかというと、簡単な話で自動車みたいにプロペラシャフトを介させました。
そもそもエンジンは機首に積むものが常識のこの時代になんで胴体中央に積んだかと言えば、機首に大きな空き空間を作りたかったのである。それをどう使ったのかはその次。
ちなみにエンジンの搭載位置、これは胴体と主翼が重なる部分、つまり重心位置になっています。機体の中で一番の重量物であるエンジンを重心に持ってくるということは運動性能向上(旋回の入りと止めが良くなる)に一役買うのです。自動車のそれと狙いは同じようなものです。この配置は後々意外なところで活きてくるのですがそれはまた今度。

2.コックピットハッチが開き戸
機体の風防と天蓋。これも一見普通の形状に見えますが、よく見ると側面に扉がついていますよね。あそこから出入りします。これ、それっぽい形してますが零戦みたいに後ろにスライドとかしません。
よく見ると天蓋の後ろに出っ張った空気取入口がありますよね。あれはエンジンを燃焼させるキャブレーター用の空気取入口なんですが、これが邪魔でこういう自動車式の扉になったんでしょうね。
なおこの扉クソ狭いので、乗りにくいこと請け合い。乗るのはともかく飛行中に脱出するのが見るからに大変そうで、しかも飛行中は気流でドアが勝手に閉まるような設計になっています。これはデブには乗れないなぁと思いけり。
ついでに、この天蓋は後方視界が確保された涙滴型です。この時代にしては珍しいと言うべきか。でもこんなに窓枠が多いとどうなんでしょうね。前方視界も窓の面積がどうも狭そうで天井も低そうに見えて、これ頭を常に天井に擦りつけながら操縦してたんじゃなかろうなと邪推してしまいます(人が乗っている写真を見つけられなかったんで断定できませぬが



3.機首プロペラシャフトに37mm砲搭載
ミッドシップエンジンと並ぶP-39のもうひとつの魅力です。これを装備したいがためのミッドシップエンジンなのです。37mm砲、航空機用としては超強力な武装で、この時代では他にはドイツのJu87スツーカくらいしか装備していなかったんじゃないかしら?

37mm砲は強力なのですがその分場所を食うし、重量も嵩む。しかも機首にはエンジンというこれまた場所と重量を食う部品がついている。これではイカンでしょと、これを解消するためのミッドシップエンジンなのです。エンジンを胴体中央に移して空いた空間に37mm砲を収めたのです。

「いやいや、別に機首じゃなくても主翼に置いても良くない?Ju87はそうだったでしょ?」でも主翼に重量物を置くと旋回時のGでかかる重量がえげつないことになります。これを解決するには主翼の強度をあげればいいんですが、そうすると今度は強度を上げる部材や部品の分機体重量が増えてしまいます。これもイカん。
それと、翼内武装はわずかに真正面から内向きの角度がつけられていて、一定距離で両翼の武装の弾丸が交わるようになっています。つまり操縦する側はその距離も頭に入れながら射撃する必要あるわけで、それを戦闘中にやるのは超大変というのは想像に難くないかなと思います。
一方で機首に付けた武装は真正面に向かって撃てますので狙いがつけやすいと来ました。機首内に武装をガン積みするのは開発側・運用側ともに望ましい方式なのです。

さらに、なんでプロペラシャフトに付けたのかという話ですが、例えばプロペラシャフトの外側に付けたとして射撃した時にうっかりプロペラを破壊する可能性を排除したかったんだと思います。プロペラ同調装置は付けてたとは言え、ダメな時はダメだったと言いますし。
なお37mmの他に12.7mm機関銃を機首に2門も装備していて、もう濃密というほかありません。それと、主翼に7.62mm機関銃を片翼2門ずつ。戦争でもする気なのかな。



4.降着装置が前輪式
この時代の飛行機の脚は主翼に2本、胴体尾部に1本という配置(尾輪式という)が一般的でした。それがP-39では主翼2本、機首1本という配置(こっちは前輪式)です。これもエンジンが移動して空いた空間に前脚を収納できるようになったからです。
結果、地面に対して胴体を水平にできるようになり、地上時の前方視界は尾輪式格段によかったはずです。乗ったこと無いのでこれも断言できませんが。
これもミッドシップエンジン同様先進的じゃないかなと思います。

他にも試作機では排気タービン装備で高高度性能ばっちり、上昇性、高速性も良好と軍もご満悦。ベルもこれは勝ったなと風呂に入りに行きました。
実際どうだったかというのは、また次の機体が出てきてからにしましょう。疲れた(後回し
まあ、すごくザックリと言うと失敗でした(手抜き



なんだ、2機続けてP-39か。銀色だから2Pカラーかな?・・・でも説明板を読んでみるとこれが違う、P-63Aキングコブラ(64機目)だ。
P-39の発展型でして、P-39で悲惨だった高高度性能をどうにかするためにあれこれ改良した機体です。
P-39と瓜二つに見えてしまうのですが、機体の外観はびみょ~うに異なっています。あまりに微妙なので両者を見比べてもピンとこないのですが、P-63の方が全長が0.75mほど長くなっていて、主翼の形状も変更されて全幅も1.3mほど広がっています。
実は機体の輪郭はP-39から全くの新設計になっているので、見た目はなんだか似ていますが実際のところは全然異なるのです。イチから設計するよりもP-39のものを流用したほうが何かと良かったんでしょうかね。
こういう見た目は似ているけど中身が異なるというのはたまに見られるものでして、古くはF-86のF型とD型から現在のF/A-18のA~D型とE/F型までなどがあります。

P-39クンの汚名をP-63クンがそそげたかというとやっぱりダメでして。
こいつの場合、有名なのは戦闘機型ではなくて有人標的機型のRP-63だったりします。これは爆撃機の銃座手が訓練する時の標的で、なかなか面白い機体なんですが、蛇足なので割愛。気になる人は調べてみてね(丸投げ



パッと見見分けがつかないくらい似ていると言っても何かしら違いはあるんでしょう?と疑問の皆さん。そうです、あります。
一番わかり易いのはプロペラの羽根の枚数で、P-39は3枚、P-63は4枚あります。
ただし、あなたの見た機体がもし飛行中でプロペラが回転しているものだったら、枚数が分からなくなってしまいます。そこでそれ以外の差異を見てみましょう。

まずは主翼根本の前縁の空気取入口。これはオイルクーラー用のものです。口が2つ開いていますね。P-39もP-63も口の数は同じですが、P-63の口の大きさは主翼の先端側の方が大きく取られているのに対し、P-39は左右ともほぼ同じ大きさです。



次にエンジン。排気管の数が異なります。P-63は片側12本、P-39は6本です。搭載エンジンはどちらもアリソンV-1710で同じなんですけどもね(サブタイプは異なっているようだが
それと天蓋後ろのエンジン用空気取入口の形状。P-39は楕円形ですがP-63は四角形です。また、P-63は境界層対策で機体表面から浮かしたところに口を持ってきています。P-39も浮かしているとも取れますが、P-63ほど意識していなかったように思えます。
あとは、垂直尾翼の形状がP-63の方が大型化しています。機体の輪郭で唯一分かりやすい差異と言えます。

これだけ分かれば、あなたもキングコブラ博士です。明日会社や学校の友達に自慢してみよう。





P-39とP-63の写真を並べてみる。じっくり見てみると、ああ違うなというのが分かるかと。



アメリカ陸軍のデブことリパブリックP-47Dサンダーボルト(65機目)。本日2機目。
P-47はD型の生産途中から天蓋の形状をレイザーバック型からバブル型へと変更したのですが、その時にサブタイプを変えなかったので両者の形状がひとつのサブタイプに混在しています。なのでD型は分類がややこしいのですが、これはD-40型というD型の中でも最終生産型のロットです。

P-47のバブルキャノピーへの設計変更というのは、天蓋より後ろの胴体上部を"削る"ことによって後方視界を確保しました。しかしこれによりヨー軸の安定性(水平面で回転する動き、自動車の転回みたいな感じ)が損なわれて、勝手に機首が曲がってしまいまっすぐ飛べなくなる問題が発生します。
そこで、垂直尾翼の前縁にドーサルフィンという背びれのようなものを取り付けて、直進安定性を確保しました。
なお、同じ問題はP-51Dムスタングでも起こっていました。初期のP-51Dの写真を探してみると、ドーサルフィンが付いていないのが見つかりますよ。

バブルキャノピーはD-25型から実装されましたが、これにはドーサルフィンがありませんでした。D-25型には後に改造して取り付けられましたが、それを製造時から取り付けるようにしたのがD-40型というわけですね。

この機体は1945年6月に製造されたもので、1953年9月にブラジルへ売却されたものを持ってきたんだそうです。



尾部。背びれがついているのが分かるかと。P-51Dのものよりも小さいのですね。



ラフトUC-43Bスタッガーウィング(1932年・66機目)
知らない機体だったのと側面まで回り込めなかったのでテキトーに撮影を済ませてしまいましたが、小型飛行機の主要メーカーであるラフトが最初に造った飛行機です。UC-43というのはアメリカ陸軍での呼称で、ビーチではモデル17と呼びます。
スタッガー(stagger)というのは「ずれる」や「よろめく」の意味で、つまり「ずれた翼」という名前の機体です。これは上翼と下翼の位置に由来します。
複葉機の主翼は上翼と下翼で前後位置をずらして配置する場合があります。この時の前後位置は上翼が前方に来るというのが常識でした。それをスタッガーウィングでは逆に下翼を前方に配置しました。この写真からだとちょっとわかりにくいんですけども。
空気抵抗が軽減され高速性が高い一方で操縦性が悪くなるという欠点がありました。操作性の悪さからスタッガーにはよろめくの意味も含まれていたのかもしれませんね。
1932年初飛行の機体ですが1948年まで比較的長く生産された機種で、この機体も1942年製です。これはヤンクスが発足した1973年の時に加えられた最初期の収蔵品なんだそうです。



ケツを向けて展示されていたロッキードUC-40AエレクトラJr.(1936年・67機目)。UC-40Aはアメリカ軍での呼称で、L-12、モデル12とも。
全金属、単葉、双発の旅客機、L-10エレクトラを小型化した機体。エレクトラを大型化した機体、L-14スーパーエレクトラは有名ですが、ちっちゃいのもいたとは。
元は民間用の旅客機として開発されたものです。



一応横から回り込めます。
正直良く知らんので解説もほどほどに(手抜き



星型空冷エンジンの内部図解。アメリカでこういう展示は珍し目な気がしますね。日本だとこういうのよくあるんですが。



スイッチを押すと内部が動くようになっているのだ。
複雑な動きをするなという印象。



ノースアメリカンSNJ-5テキサン(68機目)
親の顔より見た練習機1号です。御存知T-6なんですがアメリカ海軍ではSNJという型式で採用されていました。
これも多くは語らなくて良いでしょう(手抜き

こんなところで今日はここまで。


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