黒鉄重工

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東海project ~Time Travel of 100 years. その4 【2014/03/07~08】

2014-08-13 23:22:07 | 旅行・イベント記

【帝国ホテル中央玄関】
20世紀の建築界の巨匠、フランク・ロイド・ライトによって設計され、1923(大正12)年に完成した帝国ホテルの中央玄関部です。
帝国ホテルは皇居を正面にして建てられ、総面積34,000㎡、中心軸上に玄関、大食堂、劇場、左右に客室棟が配されていました。
この中央玄関は建物の特色をよく表していて、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なっています。大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出しています。

メインイベントである鉄道の乗車はひと通り終えたので、ここからは村内の近代建築物をゆっくりと見ていきます。
まずは帝国ホテルの中央玄関へ。厳かな雰囲気を感じます。それになんかとても凸凹しています。



玄関は3階までの吹き抜けになっています。
この中に部屋や空間があるのですが、それぞれ微妙に高さが異なっていて、場所ごとにいろいろな視界が見えてきてとても立体的でおもしろいです。




内壁の彫刻もとても凝っています。こういう仕事が入っているといい感じが出ますよね。



【金沢監獄中央看守所・監房】
金沢監獄では洋式舎房が採用されていて、八角形の中央看守所を中心として左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に伸び、右の舎房から順に第一、第二...第五舎房と名付けられていました。
移築の際に先の正門と中央看守所、第五舎房の一部だけが遺されました。

看守所を中心に独房が放射状に配置されるというのは、東京拘置所などで現在も見ることが出来ますね。
外にでる際にどうしても看守所を通らねばならないので脱獄が困難になるという寸法です。



【前橋監獄雑居房】
「監獄則並図式」(1872)に沿って、前橋監獄でも十字放射型配置の舎房が造られました。その構造は和洋折衷で、洋小屋に越屋根を載せています房廻りの構造は江戸時代以来の日本の牢屋の形式になっています。
飲食から排便に至るまで同じ狭い房内で行われるため、不衛生になりがちな監獄ではありますが、ここでは全て吹きさらしになっているため風通しが大変良く、その面での心配は少ない。
移築に当たっては、左右合わせて21房あったものを切り縮め、9房と洗い場を復原しています。



内部はこんな感じ。雑居房の中に入ることも出来ます。
どうでもいいことですが同行していた最低野郎ことライザーくんに入ってもらい、色々してもらいました。



【菊の世酒蔵】
1895(明治28)年、愛知県刈谷にあった菊廣瀬酒造の仕込み蔵として建てられたもので、もとは三河湾近くの新川(碧南市)に穀物蔵として造られたものを移したといわれています。

西洋建築の多い明治村では珍しい和風建築ですな。



酒造に使われる道具も保存されていました。実際の酒造方法などについてはその手の資料館のものと比べると一歩及ばずといったところですかね。



菊の世酒蔵の近くには蒸気機関車12号の沿線撮影スポットがありまして、ここから簡単に12号の走行写真が撮れてしまうわけです。
ややインカーブ気味で編成全体が入る構図的には素晴らしいポイントです。いやもうバッチリですね。



【三等客車ハフ13】
1912(明治45)年製。新宮鉄道で使用され、同鉄道の国有化に伴い鉄道省の所属に、その後1942(昭和17)年雄勝鉄道に移りました。
いわゆる燐寸箱客車。よくも残っていたものです。



【三等客車ハフ11】
1908(明治41)年製。青梅鉄道で「メ4」として使われた後、1924(大正13)年に山形県高畠鉄道に譲渡され「ハ2」となり、さらに1936(昭和11)年秋田県雄勝鉄道で「ハフ11」として使用されました。
こっちはデッキがないタイプの客車。



【三等客車ハフ14】
経歴はハフ13と同様。



後追いでも。



【聖ザビエル天主堂】
聖フランシスコ・ザビエルを記念して1890(明治23)年、かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリック教会堂で、フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものです。

長崎の大浦天主堂なんかにはさすがに敵いませんがそれでもかなりの存在感。京都にこんなもろ西洋チックな建築物があったら相当目立っていたと思います。



お、なかなか神秘的ですね。
フランス人神父が監督したというせいか、パリのノートルダム大聖堂と規模は違えどおおまかなレイアウトが似ていますね。バラ窓もありますし。ていうか協会はどこもこんなようなレイアウトですね。



祭壇。
コレの前で、ライザーくんに懺悔してもらいました。どうでもいいですね。



【隅田川新大橋】
新大橋は、1912(明治45)年五大橋の最後の橋として日本橋浜町と深川安宅町の間に架けられました。五大橋は、隅田川上流から順に吾妻橋、厩橋、両国橋、新大橋、永代橋を指します。
設計監理には東京市の技術陣が当たりましたが、鉄材は全てアメリカの製品が使われています。
竣工後間もなく、橋を渡って市電が開通し、橋の役目は一層高まりますが、1923(大正12)年の関東大震災の折には、他の鉄橋が落ちる中で、この新大橋だけが残り、避難の道として多数の人命を救いました。

橋の先っちょだけ残されています。入り口の装飾とかは凝っていますね。ちょっと錆びついてきているけれど。



【大明寺聖パウロ教会堂】
この建物は1879(明治12)年頃、長崎湾の伊王島に創建された教会堂です。
大明寺教会堂は、フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと地元伊王島に住んでいた大渡伊勢吉によって建てられました。
内部こそゴシック様式ですが、外観は鐘楼を除けば普通の農家の姿であり、いまだキリスト教禁制の影響を色濃く残しています。

というわけで、見た目はちょっと立派な農家の家ですが・・・。



内部はしっかりとゴシックしています。お前のような農家があるか。
ここでもライザーくんに懺(ry

まだ続きます。

(記事内の説明文は明治村ホームページより引用)


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