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あれこれ雑記

学業院趾

2017-01-04 16:33:14 | 日記

お天気がよろしいので都府楼碑辺りまで歩いてみました。
以前は松ケ浦池の登り坂を越えていたのですが、どうも歩みに力がなくて、平坦道を歩くことにしました。かってはテニスコート辺りで見かけた雄雉を追ったこともありました。そして学業院跡を横目に歩き、戒壇院傍を戻りました。そこで序でですから貝原益軒先生の「筑前続風土記御笠偏」を写してみます。
(学業院跡は)観世音寺の村の西の端にあり。南に向へる地なり。其西に小川流る。学業院は吉備公始めて立玉ふと云。吉備公は、天平勝寳六年太宰大貳に任ぜらる。然るは此時創立し玉ひしにや。又吉備入唐して、弘文館の聖像を持来り、太宰府学業院に安置せらる。吉備公又百済の絵師に命じて、彼本をうつさしめ、都の大学寮に奉らる。江家次第の注に見えたり。中略 その後時うつり、世乱れてより此かた、学業絶え、聖師の像もうせ、ひじりのおしえすたれて、文籍もなくなり、今はたゝ其址のみ残りて、農夫の宅となれり。おしみても猶あまりあり。誠になげかはしき事にこそ侍へれ。
以上が略々写です。文中の「江家次第」とは、有職故実の書であり、大江匡房によって書かれものです。当地の神幸式大祭の起源などもそれによったとされています。
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1 コメント

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Unknown (大佐野)
2017-01-05 17:13:39
明けましておめでとうございます。今年もブログを楽しみにしております。学業院の歴史を初めて知りました。吉備公は博識の学者だったそうですが、教育は国家が栄えるための最重要課題と、当時から意識されていたとは素晴らしいですね。どこかの政治家に聞かせたものです。

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