小山洋一 (ようちゃん)の一日

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一昨日の近鉄の事故で視力障害者だった亡き母を思い出しました。

2016-10-18 17:01:35 | 日記
16日午前11時10分ごろ、近鉄河内国分駅で、通過する、上本町発鳥羽行き

特急に通過待ちしていた準急電車から、視力障害者の男性(40歳)が

はねられてお亡くなりになった。心より哀悼の意を申し上げます。

私の母も、視力障害者の1級の第1種でした。

小学4年生から亡くなる平成24年6月15日まで介護してきました。

最初は、和歌山県御坊市でしたので、殆どがバスでした。

当時のバスは段差があり、乗車・下車させるのに苦労しました。

今のバスと違いノンステップバスではありませんでした。

出入り口には握り棒なんかありません。

つり革のみです。当時は車いす(介護用)はありません。

父が食道癌で、和歌山市の県立医大に手術入院した際にも

学校を欠席し、父の付き添いを母が出来ないので、

私がしました。当時、国鉄に乗車する際には、障害者手帳と

市の福祉事務所が発行する、身体障害者割引書に必要事項を

記入して、駅の窓口に提出しなければ半額になりません。

それも介助者とともに乗車しなければ通用できません。

国鉄時代、ステップが2段あり、母を乗車・下車させるのは

大変でした。特に跨線橋は階段が長いので、母をおんぶして

上下しました。今のようにエレベーターやエスカレーターなんか

ない時代でした。父が亡くなり(昭和51年)母は1人暮らしを

していましたが、柏原市の国分の借家に入居し、母とともに

生活しましたが、柏原の市役所に行くのに近鉄大阪線

安堂駅に行くのですが、やはり近鉄も身体障害者割引書

が必要でしたので、毎年、私が福祉事務所に行って

もらっていました。近鉄バスなんか身体障害者手帳のみで

割引なんかしてくれないのです。これも身体障害者割引書

が必要でした。今のように駅に点字ブロックなんかない時代でした。

昭和58年に福祉世帯で応募多数で当選し柏原市の府営住宅に

入居しましたが、エレベーター停止階ではなかったので

1階分階段を利用しなければならなかったのです。

国鉄柏原駅・近鉄堅下駅に徒歩約5分で行けましたし

買い物も近くにあったので、多少ですが便利な所でしたが、

阪神大震災で住宅がひび割れができたので、平成10年と11年に

今の府営住宅の募集がありました。平成10年度分は1番違いで

落選でしたが、平成11年のたった25戸の募集で福祉が4戸でしたが

一番最後に当選しました。エレベーターは各階停止するし、自宅が

バリアフリー化でしたし、風呂も手すりがついている最新型の住宅

に入居できました。母はこの住宅は10年しかいなかったのです。

小学4年生から55歳まで母の介護よくしたなあと思います。

一日も早く駅が視覚障害者が利用しやすい駅になってほしい

と思います。


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