
東日本大震災の夜、保育所からくたくたになって帰宅したが、我が家は停電だった
山の上の我が家から南西方向の町は街灯や信号さえ付いていない真っ暗だった。
ぎゃくにはるか東側のマンションの明かりや街灯がちらほら見えたから、町によって電気の線の復旧の速さに違いがあったのだろう。
東北を離れた神奈川県の辺境で、私は情報に飢えていた。
ともかく電気がアウトになると我が家はパソコンもテレビも電話も駄目。
ケータイのワンセグはもともと我が家は電波が入らないと来たもんだ。
電池で聞こえるラジオだけが頼りだったが、映像情報は皆無。
帰宅困難者向けの交通情報など聞いてもちんぷんかんぷんだった。
家族とのケータイの連絡も地震直後の無事確認以降途絶えていた。
とくにしたむすめは千葉にテニス合宿へ行っていたから気が気ではなかった。
やがて電気が復旧。明かりのありがたさ。
すぐにテレビをつけたら我が家のアクオスの大画面は・・・燃えさかる気仙沼の上空からのヘリの中継を映し出した。
毛布をかぶってなすすべなく見た。
「これから日本はどうなるんだろう・・・」「明日から水や食べ物は確保できるだろうか??」
翌日から何度となく様々な画像がネットやテレビで目にできたが、私にとってあの漆黒の闇を切り裂くような気仙沼火災の映像は震災の原風景になって刻み込まれている。
その現場に8ヶ月後立ってきた。










