5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2017年版です。

きぬさく更衣

2017-06-10 22:30:38 | ことば

当節「更衣」とか「衣替え」と言ってもなんのことかわからぬと答える者も多いのではないだろうか。

六月になったら一斉に夏服に替えるのが社会的ルールだったサラリーマンがこのルールを無視しだしたのはいつ頃のことだったのか。

昭和30年代、夏服は単衣の薄物もあったが、流行のクールビズを半世紀以前に先取りしていた白の開襟シャツという優れものを大半のサラリーマン(会社員といった方がしっくりするだろうか)が着ていたから六月一日の通勤電車は白色で溢れた。安物の木綿生地だったが皆がこざっぱりと着ていて気持が良かった。

その後ウン十年、サラリーマンもそれなりに豊かになって余裕もできる時代になると、それまであった社会生活の信号の様なものは一つまた一つと消えてしまった。世間一斉の「衣替え」もその一つだろう。自由度が増したのだと言えなくはないが、総てがのっぺりと平準化してしまった。メリハリがない。

「越後屋にきぬさく音や衣更え」

これは芭蕉の弟子の基角が元禄九年(1698)に詠んだ夏の句だ。現金掛け値なし、反物の切り売りで大評判を取った越後屋は日本橋の呉服屋の大店。三越の前身である。

折から初夏の更衣の季節。店頭に押しかける客の注文に応じて手代たちが次々に絹を裂く。 シュッシュッという音がひんやりした店の空気を響かせていると云う、都会的な感覚に溢れた清新な句であるとは、中公新書の「百人一句」に高橋睦郎が書いている句評である。

「きぬさく」がポイントのこの句。高橋は、これには和歌によく出てくる「きぬぎぬの別れ」が裏解釈として潜ませてあると言う。

基角の花柳好きは有名な話し。遊興の巷から朝帰りの途中で越後屋の前を通った彼は、絹を裂く音を聞きながら、酒と女に浸った怠惰な生活から別れて、新しい生活に衣替えをしたいものだと思ったのではないかと解釈すれば、この句の趣きも格段に深くなる。 たしかに。

衣替えに気を回さなくなった現代人たちは、怠惰な日常から離れられないと云うことになると云う解釈も出来るのか?

 

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