5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2017年版です。

薩摩の真宗門徒弾圧

2012-12-14 22:23:39 |  文化・芸術
漱石の「猫」をSONYのリーダーで読み終えた。長文の電子書籍を読むのはこれが初めてだが、やはり近眼に老眼が加わった自分には結構重宝するということが分った。

次は従来の紙の文庫本に戻って、「猫」で中断していた司馬遼太郎の「街道をゆく3」の「肥薩の道」を再開する。司馬の友人だった薩摩焼窯元・沈寿官にふれた「苗代川」の前に「隠れ門徒」という章がある。

人体器官をさす「口」はいろいろな派生語があって広辞苑を調べると18個の語義が見つかるとまずある。たしかに、こちらの電子辞書の広辞苑で調べても18個の違った使い方が見つかる。司馬の思った日本各地にある地名の「口」の使い方はこの18個の中にはない。

「京の七口」というように、京都には白河口、鞍馬口、丹波口、鳥羽口、粟田口といった昔からの地名が今も生きている。外部から侵入する外敵を防御する要になった土地のことだ。名古屋城の西堀側に樋の口という地名があるが、これは城堀の水を堀川に流しいれる水門があったことに由来するのだ。日本は数百年前までは、山や谷を境として封建領地を守り、その「口」から向こうを外国としてきた伝統があったのだと司馬は前置きして、熊本から鹿児島側へ下って「大口盆地」に降りる。

「優等焼酎」と書かれた広告ポスターを、いかにも明治的で結構だと云い、薩摩の黒豚をつかった「ぶた汁」を味がいいと褒める。この人は取り上げる友人や知人にしても貶すということがあまりない。巧みな言い方でチクルのが上手い。

大口(現在は伊佐市の一部)には浄土真宗の寺が多いのだそうだ。自分の住む三河はもちろん、北陸・加賀や紀州などが昔から真宗門徒の多いところであるが、戦国末期の島津領内にも蓮如の「講」はその組織を拡げていたわけだ。講の影響力、活動力を恐れた島津氏は「一向念仏まかりならぬ」と「念仏停止(ちょうじ)」の政治的弾圧にでる

江戸のキリシタン禁令と同じだが薩摩藩の真宗禁令についてはあまり知られていないと司馬は書いている。こちらも初めて読んだ史実である。徳川の時代にはすっかり大人しくなった真宗門徒。全国の2~3割がこの宗旨だったほどのポピュラリティなわけだが、ひとり薩摩だけは、石山本願寺の信長抵抗を思ったのか、領内の隠れ門徒に対して苛酷な拷問で対処したというのだ。

隠れ門徒たちは、柱をくりぬいて本尊を隠したり、土蔵を秘密の集会場にしたりしながら藩の弾圧に抵抗し続けた。それにしても隠れキリシタンはやはり九州の長崎だから、九州という土地にはこうした思想弾圧に対する「信仰熱」がほかよりも強いようではないか。

今日の万歩は金山から北に向かった。途中には東本願寺の名古屋別院がある。山門には幔幕が張られて「報恩講」の表示が。本堂に近づけば善男善女を集めた「南無阿弥陀仏」の唱和が聴こえたはずだ。

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