さて、先述の通り、仁和寺は、応仁の乱の戦火によって、焼失してしまったのであるが、これを逃れ、当時の姿を残すものが、霊宝館に安置されている。
〔阿弥陀三尊像〕(平安・国宝)
である。
中尊の阿弥陀如来坐像は、像高約九十センチ、脇侍の勢至菩薩立像、観音菩薩立像は像高約一二〇センチ、いずれも、やや小ぶりではあるが、目線よりも高いところに置かれているため、やや大きめに見える。
丸みを帯びた「ふくよかな」顔立ちは、とても柔和で、観る者を穏やかに惹きつける。
阿弥陀如来というのは、人々を極楽浄土に導く仏。
鎌倉時代に入り、法然が浄土宗を開いて以降、
「特別な修行をぜずとも、南無阿弥陀仏(帰依します、阿弥陀仏に)と唱えることで、極楽浄土に行ける」
という思想が広がりを見せ、この仏が、広く人々に浸透していったことから、数多くの阿弥陀如来が国内各地に作像されたのであるが、仁和寺のこの像は、それ以前の古きもの。定印(左右親指を合わせ、その他の指で輪を描く印相)を結ぶ阿弥陀如来としては、最古のものなのである。
特別な信心など持ち合わせていない、わたしのような者であっても、
「日本最古…」
と聞くと、
(やはり、なかなかの像だ…)
などと思い
(うんうん…)
と、頷いたりしているのが、自分でも少しばかり、気恥ずかしかったりする。
御朱印は〔阿弥陀如来〕
ありがたく頂戴する。
紅葉と国宝仏、存分に堪能させてもらったが、仁和寺内、もうひとつだけ紹介しておきたい。
御殿と言われる場所だ。
明治二十年(一八八七)以降に建てられ、新しいものではあるが、まさに、この場所に、宇多法皇の御所があったらしい。
白書院、宸殿、黒書院、霊明殿といった建屋が渡り廊下でつながれ、宸殿を中心とした南側、北側に、ふたつの趣を異にする庭がある。
南庭のほうは、白砂と松・杉を基調とした簡素なものであるが、その隅に一本の紅葉が、存在を誇示するがごとく、真紅の色づきを放っている。
そして、北庭のほうは、池泉式の風雅なもので、庭越しに見る五重塔も、まこと、見事と言わなければならない。
この二景、カメラ片手に寺社巡りをするにあたっては、絶対に外せないポイントと言えよう。
単身赴任社宅に帰り着いたのは、午後三時。
撮影した画像の保存やら、巡った地の書きとめ作業やら、こまごま行ってから、入浴の時間である。
なにしろ、風呂というもの、まことによい。
わたしの場合、平日の仕事帰りなど、外での飲み会で帰宅が少し遅くなるときを除き、必ず風呂に湯を張ることとしている。
ワンルームの狭い部屋、バスルームも、まったく狭いものではあるが、それでもよい。
シャワーだけだと
(つまらない…)
のである。
さて、本日の晩酌メニューは
「きのこ鍋」
深まりゆく秋、まさに、きのこ類が美味しくなってくる季節到来なのである。
水一リットルに、昆布で出汁をとり、醤油大さじ三杯、料理酒大さじ六杯、みりん大さじ二杯、鶏ガラ出汁大さじ一杯を加えて、スープは完成。
これに、しめじ、舞茸、鶏モモ肉、絹ごし豆腐を具材として投入して食す。
なお、きのこ類は、鍋が水のうちから投入しておくのがポイント。きのこの香りが、つゆにしみ込んでいくので、とてもよい。
晩酌は、二時間ほどかけて、ゆっくり楽しみ、最後は、残ったつゆにて仕立てた雑炊で締める予定だ。
今日も美味しくいただくことにしよう。
(乾杯…!)
【秋】 京都・洛西 「紅色に染まる仁和寺を歩く」④完
〔阿弥陀三尊像〕(平安・国宝)
である。
中尊の阿弥陀如来坐像は、像高約九十センチ、脇侍の勢至菩薩立像、観音菩薩立像は像高約一二〇センチ、いずれも、やや小ぶりではあるが、目線よりも高いところに置かれているため、やや大きめに見える。
丸みを帯びた「ふくよかな」顔立ちは、とても柔和で、観る者を穏やかに惹きつける。
阿弥陀如来というのは、人々を極楽浄土に導く仏。
鎌倉時代に入り、法然が浄土宗を開いて以降、
「特別な修行をぜずとも、南無阿弥陀仏(帰依します、阿弥陀仏に)と唱えることで、極楽浄土に行ける」
という思想が広がりを見せ、この仏が、広く人々に浸透していったことから、数多くの阿弥陀如来が国内各地に作像されたのであるが、仁和寺のこの像は、それ以前の古きもの。定印(左右親指を合わせ、その他の指で輪を描く印相)を結ぶ阿弥陀如来としては、最古のものなのである。
特別な信心など持ち合わせていない、わたしのような者であっても、
「日本最古…」
と聞くと、
(やはり、なかなかの像だ…)
などと思い
(うんうん…)
と、頷いたりしているのが、自分でも少しばかり、気恥ずかしかったりする。
御朱印は〔阿弥陀如来〕
ありがたく頂戴する。
紅葉と国宝仏、存分に堪能させてもらったが、仁和寺内、もうひとつだけ紹介しておきたい。
御殿と言われる場所だ。
明治二十年(一八八七)以降に建てられ、新しいものではあるが、まさに、この場所に、宇多法皇の御所があったらしい。
白書院、宸殿、黒書院、霊明殿といった建屋が渡り廊下でつながれ、宸殿を中心とした南側、北側に、ふたつの趣を異にする庭がある。
南庭のほうは、白砂と松・杉を基調とした簡素なものであるが、その隅に一本の紅葉が、存在を誇示するがごとく、真紅の色づきを放っている。
そして、北庭のほうは、池泉式の風雅なもので、庭越しに見る五重塔も、まこと、見事と言わなければならない。
この二景、カメラ片手に寺社巡りをするにあたっては、絶対に外せないポイントと言えよう。
単身赴任社宅に帰り着いたのは、午後三時。
撮影した画像の保存やら、巡った地の書きとめ作業やら、こまごま行ってから、入浴の時間である。
なにしろ、風呂というもの、まことによい。
わたしの場合、平日の仕事帰りなど、外での飲み会で帰宅が少し遅くなるときを除き、必ず風呂に湯を張ることとしている。
ワンルームの狭い部屋、バスルームも、まったく狭いものではあるが、それでもよい。
シャワーだけだと
(つまらない…)
のである。
さて、本日の晩酌メニューは
「きのこ鍋」
深まりゆく秋、まさに、きのこ類が美味しくなってくる季節到来なのである。
水一リットルに、昆布で出汁をとり、醤油大さじ三杯、料理酒大さじ六杯、みりん大さじ二杯、鶏ガラ出汁大さじ一杯を加えて、スープは完成。
これに、しめじ、舞茸、鶏モモ肉、絹ごし豆腐を具材として投入して食す。
なお、きのこ類は、鍋が水のうちから投入しておくのがポイント。きのこの香りが、つゆにしみ込んでいくので、とてもよい。
晩酌は、二時間ほどかけて、ゆっくり楽しみ、最後は、残ったつゆにて仕立てた雑炊で締める予定だ。
今日も美味しくいただくことにしよう。
(乾杯…!)
【秋】 京都・洛西 「紅色に染まる仁和寺を歩く」④完