東京都の社会保険労務士のデイリーブログ

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「私の母について」思うこと

2017-08-15 22:28:29 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。今日は、「私の母について」思うことを書きたいと思います。

つい先日、私の母が都バスに乗車中、車内で発車の弾みで転び、胸椎腰椎脱臼骨折で、現在入院する運びとなりました。

娘宅へ向かう途上での朝の出来事で、交通事故の扱いということ、昨日の東京新聞にも小さな記事で掲載されたということ等を、東京都交通局の職員の方から説明を受けました。

▲このように弱々しくなってしまった母ですが、離婚するおよそ36年前は、当時瀬古俊彦選手の時代にご一緒してボストンマラソンに出場したことのあるエネルギッシュな女性でした。


当時は、千葉県の松戸市牧の原団地というところに離婚前までの約5年前後住み、団地敷地前のおよそ300坪前後の土地を一人で借り受け、鶏(チャボ他)を10羽以上飼い、畑を耕し、徹底してすべて無農薬の野菜で私を育ててくれていました。麦からピーナッツ、何から何まで挑戦しない野菜は無いくらいでした。

時には、大工さんに弟子入りしたかと思うと、そこで教わったノウハウを生かしてか、飼っていた鶏の小屋まで、父の助けを借りずほぼ一人で作ってしまっていました。

ちょうど同じ時期には、近所の子を7~8人集めてそろばん教室と英語教室(昭和女子大の英米文学科卒業)を自宅でしたりして、私の家では、団地だからだけではなく私は一人っ子ながらも、常に周りに兄弟姉妹がいるような大所帯でいつも過ごしていました。

母方の私の祖父は、戦時中満州で確か満鉄のある駅の助役をやっていて、戦後命からがら引き上げてきました。そんなことから中国を敬愛する気持ちが家庭内では特に強く、当時の中国残留孤児の帰化した方から、母は中国語を習ったり、はたまたNHKの語学講座オタクもこの頃からでした。

そんな華々しい母とは裏腹(に)な頃、父は当時ひたすら戸田建設内で、母が言うには、東大系と早大系の派閥のどちらにも漏れながらもサラリーマンをしていました。1975年11月26日からの8日間の国鉄のストライキが、私はとてもうれしく、会社を休める父の傍でスト万歳でした。(脱線、脱線…)

私にとって、この頃が幼少期の中でも、心の拠り所があった一番良い時です。因みに母方の私の祖父母も、福島県棚倉出身です。俳優の向井理さんのご親族も棚倉ご出身らしく、どこかでつながっているかしら~と思って、テレビを見ては向井さんのご出演を、私はつい喜んでみています。

母は、同じ大学の先輩、登山家の田部井淳子さんを慕っていて、田部井さんがお亡くなりなったことを、とても残念に思っております。この場をかりて、お悔やみ申し上げます。

以上、私の独壇場でございました。


東京都の社会保険労務士 トラスティ有明社労士事務所
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