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わたしのハワイ旅行~昭和天皇とマッカーサー元帥から学ぶ!!~

2017-06-14 19:00:10 | お話の国

 去年の秋頃のことだったか…

わたしは母とハワイ旅行に行きました(夜の空港)

 

ハワイって夜便が基本なんですね

海外旅行が大好きなくせに、ハワイにはなぜか一度も行ったことがなかったわたし

 

自分の生きづらさの要因が、発達障害、アスペルガーだったから。と分かってかってからというもの、わたしの生活は昔とはだいぶ変わりました

 

生きづらさ改善や軽減を一番の人生の目的としていたため、大好きな海外旅行に行く気すら長いこと起こらずにいたのだけれども…

 

 ひょんなことをきっかけに、母と初めて2人でハワイ旅行へ行くことになったのです

 

そのさらに前の年の2015年、母と行った九州のツアー旅行がわたしにとって,とても貴重な旅になったことから、母と二人で海外も良いかな♡と思ったことも重なり、ハワイ旅行を決めたわけ

 

(九州旅行については、知覧特攻平和会館の記事にて書いているので、興味のある方は読んでもらえたらうれしいです)

 

日本人はハワイが大好きですから、わたしもハワイが好きに違いない

と、、(いったこともないくせに)思って、素晴らしく楽しいところへ行けるというワクワク感にあふれていました

 

みんながハワイハワイ ワイハワイハ と騒ぐものだから、、わたしのハワイへの期待は相当なものになっていたのかもしれません

 ハワイって、大層楽しいところ、楽しい場所だと思っていたのですが

 

 結果、わたしのハワイ旅行はどうだったかというと…


ワイキキビーチのあの人の多さと、世界各地からヴァカンスに訪れる大勢の人たちの空気感がわたしにはとてもとても無理でした

  ワイキキビーチにはわたしは一度も足を運ばず、遠くから海を眺めただけとみんなに言うと…

 

「海に入っていない?ビーチに行っていない?いったい何しに行ったの?」

 

と口をそろえて言われたものです

 

 (ワイキキビーチは、わたしにはまるで静岡県の伊豆にある白浜ビーチのワールドヴァージョンでした)


ちなみに、白浜ビーチは夏になると大勢の家族連れやギャル男ギャルで溢れかえるビーチです。笑

いろんな国の人がいるということから、ワイキキビーチはその世界版ってとこでした

海で遊ぶという娯楽を楽しない、楽しいと思えないのは、わたしのアスペ気質が原因なのでしょうか…

 

『もう一度ハワイへ行きたいか?』

 

と聞かれたら、(もう良いかな…)って答えると思います

 

けれどそれはワイキキビーチは始めとした観光客の集まる中心街だけに限った話

 

 観光客がいかない、現地の人が静かに暮らす自然豊かな街や海山はきっと最高なんだろうと思います

今度ハワイに行くなら、そういった別の島やハワイの外れなどを静かに楽しむ旅にしたいと心から思います

 

 そんな、少しテンション下がり気味なハワイ旅行の話になってしまいましたが、わたしが今回書きたかったことは、そんな話ではありません

 

今回初めて行ったハワイ旅行でわたしが感じ、学んだ、日本とアメリカの歴史や学校教育の背景などについてです

 

きっかけは、オアフ島1日観光バスツアーでの現地ガイドさんの話のなかにあります

 このツアーは、あの有名な木(日立のCMのこの木なんの木気になる木~♪のあれです)のある公園や、ジュースなどで皆さんご存知のDoleのパイナップル農園など、オワフ島を一日かけてめぐるバスガイドさん付きのツアーです(気になる木)(パイナップル🍍農園に行ったら絶対食べておきたいパナップルアイス)

 

観光名所につく間はひたすらバスの中でガイドさんの話を聞くことになるわけですから、ツアーの満足度はガイドさんの話の上手さに左右されるといっても過言ではありません

 

わたしたちの乗り込んだバスのガイドさんは、このバスツアーの中でもとてもとても人気のあるやり手ベテランガイドさんだったようです

(立ち寄ったお土産店のおばちゃんが「この人一番人気のガイドさんなのよ」と教えてくれました)

 

それはそのガイドさんの話しを聞いていれば誰もがうなづける、納得のいくものでした

 このバスガイドさん

 人気ナンバーワンの呼び声にも充分納得!!

本当に話し上手なおばちゃんでした(ハワイ版綾小路きみまろ的な)

 

 顔も日本語もまるで日本人です

 日系アメリカ人なのだろうと思います

 日本を歩いていたら、だれも日系とは思わないなりと風貌です

 

 

バス車内で、ガイドさんはパールハーバーがある方向を指さし、戦後の日本とアメリカの話について語り始めました

(このバスツアー、パールハーバーへは行かないツアーでしたせっかくハワイに行ったのに、パールハーバーへ行けなかったことがわたしの心残りなので、いつか必ず行きたいです

 

とっても話し上手で面白いガイドさんでしたが、わたしは時差と飛行機疲れがつもりにつもり、バス内ではガイドさんの声を子守唄に流し聞きが精一杯

 わたしは終始かなりの眠気と戦っていました

 

旅行中はどうしても食生活が自分でコントロールできないので血糖値が乱れるし、母と参加したツアー旅行のため、自由行動がほぼなかったせいで、わたしは唯一自由になる夜を利用して、ABCマートやら、夜な夜な一人でワイキキの街へ買い物に出かけホテルに戻るのはいつも23時とかで、クタクタ

その挙句、わたしは人が同じ部屋にいると熟睡出来ないから寝不足がつもりにつもっていたわけです(笑)(ワイキキビーチとはまるで雰囲気が違う、バスで向かったワイキキから離れたところにあるビーチは静かで⛱景色も最高でした)

 

バズ車内において、そんなひどい睡魔との闘い真っ最中のわたしでしたが、、

 

ガイドさんその話には、わたしの眠気が吹っ飛びました

(さすが、興味のある話題になるとアスペなわたしが顔を出します

 

太平洋戦争、戦後GHQ、マッカーサー元帥が日本に上陸した当時のやりとり、そんな話しをガイドさんは(はしょりにはしょって簡単にだと思うけど)話してくれたのですが。。

 その内容のあまりのアメリカンナイズっぷりにわたしは驚いてしまいました

 

 顔、話し方が、日本人そのものなガイドさんだけに、その口から発せられる内容に違和感がありまくりでした

 みな黙って聞いていましたが、もし立場が逆転し、アメリカ人相手に日本人ガイドがこういった話し方をしたら、確実に怒り出すアメリカ人は大勢いるだろうな??というような話し方でした

 

誰も意義を唱えず、黙って聞いているところが日本人らしいなと思わずにはいられませんでしたが…

 

気になるガイドさんが話した内容なのですが、

 

戦後、敗戦国の日本はGHQマッカーサー元帥にゆだねられたわけですが、今のわたしたち、日本、日本人が在るのはマッカーサー元帥さまのおかげであるということでした

 

ガイドさんの話し方によると、命乞いにきたとばかり思っていた昭和天皇の口から出た、国民をかばい、自分の命捧げてでも国民を思うその様にマッカーサー元帥様が感動、感銘を受け、そうして助けてあげたということ

 今の日本があるのは、心や優しく偉大なる人物、マッカーサー元帥さまあってのこと、マッカーサー元帥さまさまであるいうこと

 

こんな話し方をガイドさんがしたものだから、わたしは驚いてしまったわけです

(たとえわたしが話を盛っていたとしても)あまりに大袈裟っぽく聞こえるかもしれないけれど、聞き手のわたしがこのような意味合いとして受け取ったのは事実です

 

アメリカ教育の中では、マッカーサー元帥さんというのは相当な神的存在として崇められている人物なんだなあとつくづく感じずにはいられませんでした

(日本人顔のその女性カイドのおばちゃんが、あまりに平然と当たり前のように話すものだから、、そのギャップに驚いてしまったのです)

 

多くのアメリカ国民が、”自分たち(アメリカ)のおかげで戦争を早く終わらせ、多くの日本人を助けてあげた”的な考えをもっていることは、なんとなくわかります

 

事実、それが本当なのか…その答えはいろいろな角度や見方によっても変わると思うので、実際のところどうなのかはわたしにはわかりませんので、それについて怒りを感じたりはしませんが…

 

唯一の被爆国である日本人として、原爆投下を肯定的にとらえるような発言は、人としてあまりに悲しいものがあると思います

 昔に見た何かのテレビ番組で(アメリカ人へのアンケートを実施した番組だったと思いますが)そういった回答をする人がやはり少なくなかったような印象が強く残っています

 

さてさて、

ガイドさんが、まるでマッカーサー元帥氏を大好きな彼氏かのようにマークをつけて話すようなその様は(笑)、わたしには少し風変わりに感じずにはいられなかったのだれど

 

バスに乗りあっていた他の日本人ツアー客は、この話しを一体どんな風に感じながら聞いていたのだろう…

それぞれなにを感じ、なにを思っただろか…

 

なあんてことが、少し気になってしまったわたしです

 

(昭和天皇がマッカーサー元帥氏を訪れた、このときのエピソードはあまりに有名な話なので、ご存知の方も多いと思うけれど、ご存じない方のために少し私的解釈の補足しておきます)詳しく知りたい人は調べてみてくださいね

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敗戦国の王ともいえるべき人物、昭和天皇は、当時たった一人のガイド(通訳)のみを連れ、マッカーサー元帥に会いにアメリカ大使館を訪れます

 

マッカーサー元帥は、椅子から立ち上がりもせずにパイプを加えたまま、昭和天皇を出迎えたといいます

 

ほとんどの敗戦国の王が(自分の命だけを)命乞いするというのが常

 

マッカーサーは、そんな諸外国の王たちのそんな姿を沢山みてきたわけですから、当然、昭和天皇も他の王と同様、命乞いに来たのだろうと思って見下していたわけです

 

ところが、昭和天皇はとても紳士的な態度で、自分の命と引き換えに全国民の命と安全を、マッカーサー元帥に申し願いました

 

戦争の全責任は全て自分一人にあり、自分が唯一の戦犯である…

すべての国民の衣食住を約束し、どうか国民だけは助けてほしい…

 

通訳の者は、天皇の語ったこの言葉をそのまま通訳してよいものかどうか、とても困惑したようです

 

命乞いに来たと思っていた昭和天皇にマッカーサー元帥は心底驚き、その天皇の様に心打たれたというのは、有名なエピソードです

 

すべての国王たちはまるで真逆の発言をするといいます

 

自分には戦争の責任は少しもなく、側近たちが勝手にやったこと、どうか自分だけは助けてほしいという内容の…

 

ほかの国の王たちとはまるで違う昭和天皇のその勇気ある姿を、真の紳士であったとマッカーサー元帥は語っています

(そんなこと言った人物は初めてだったようです)

 

マッカーサーは昭和天皇に敬意を払い、そうしてその後厚い信頼関係を築いていくことになります

 

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ガイドさんのそんな話しで、相当であったあの眠気が吹っ飛んでしまったわたしは、しばらくの間は戦争と 昭和天皇とマッカーサー元帥と、学校で習ったことと、教わったことと、、そんなことが頭の中を駆け巡り、そのことで頭がいっぱいになってしまいました

 

わたしたちは、学校でマッカーサー元帥氏がそんなに英雄的存在になるような教えは受けていないけれど、アメリカ人にとっては彼らは英雄なんです

 

けれど、だからといってわたしたち日本人が、昭和天皇のその勇気ある行動を教科書の中で詳細に習ったかというと、決してそんなことはないです

 

昭和天皇が英雄的存在であるかのように崇めているいる人物が、そんなにわたしの周りにいないことからも明らかです

 

(”そんなに”というか、ほとんどいない、という方が正解かも。むしろ、この有名なエピソードすら知っている人のほうが少なかったりするくらいです

 

わたしが言いたいのは、そのガイドさんの言っていることが”どうのこうの”ということではありません

 

そういうことではなく、学校教育が与えるものの大きさにひどく驚いたというところにあります

 

学校で習ったこと、教わったことが、わたしたちは全てだと信じ込んでしまう傾向が強いと思うのです

 

そう思うと、わたしたちが学校で習ったり(学校教育に限らずとも)親や周りの人から言われてきたことっていうのは、その子の考えそのものになり、その子の全てにもなり得るのだなぁと改めて感じたのです

 

(これは使いようによっては武器にも凶器にもなりえます…。)

 

お前は馬鹿だ何も出来ない奴だ 人生は思い通りになんていかない 辛いことばかりだ

 

こんなことばかりを囁かれて育ったのならば、それがその子の"当たり前"にになりますよね?

(三つ子の魂百まで)なんてことわざがあるくらいです

 

ならば、良いこと、良い情報だけをひたすらその子に囁き教えてあげれば良いのでは?

 

そんな、子育ての秘訣、醍醐味を垣間見る、いえ、垣間知ったように思える出来事でした

 

確かに、今の日本の学校教育では、天皇は象徴であり、天皇を崇めるような教育はされていません 

 

天皇家の新年の一般参賀

 

恒例行事のひとつです

 

天皇家を一目みようと、皇居の周りに集まり、手を振り、日の丸の旗を振り。。

 

テレビでそんな光景を一度は目にしたことがある人は多いと思いますが、大勢集まった国民の群れの中は、高齢の方ばかりが目立ちます

 

大勢集まった国民たちの人だかりの中から、ギャル・若者を発見することは、【ウォーリーを探せ!!】と同じくらい至難のわざだと思いませんかっ?!!

 

それは、戦後変わった学校教育の在り方にも多少なりとも関係しているように感じます

 

天皇家に話がそれてしまいましたが、それだけ自分が吸収する情報、知識というものが、”自分”というものを形成するうえでとても大きな意味を持つと思うのです

 

もしも、わたしが一昔前の日本の学校教育や、その遥かもっと昔の、江戸時代の学校教育やその当時の思考をわたしが当たり前のように受けて育っていたのば、わたしはそれを受け入れているのです

 

住む国の文化や風習、またその子の環境やその子が得て、普段耳にしていく多くの情報が、その子の思考や行動に大きく影響を与えるということを、今更ながらに強く感じた楽しいバスツアーでした

 

ハワイの観光よりこの日の出来事がわたしにはかなりの収穫であったことは間違いありません

 

つづく

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