礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦後も変わらなかった「血液型ナショナリズム」

2016-06-17 04:22:59 | コラムと名言

◎戦後も変わらなかった「血液型ナショナリズム」

 昨日の続きである。古畑種基の論文「血液型より見たる日本民族」には、一九三五年(昭和一〇)発表のものと、一九四九年(昭和二四)発表のものとがある。
 比較のため、それぞれの一部を抜き出してみよう。

【一九三五年論文】また他方、日本民族は血液型より見ると、その混血がほとんど平等におこなわれておることを示す。これは日本民族が建国以来上に万世一系の皇室を奉戴する大家族民族たることを闡明しているものというべきである。
「四海同胞」という言葉の字義通り、我々日本人の脈管の中には一様の血液が流れている、即ち日本民族は血液型学的に見て、血縁を等しうする兄弟姉妹にほかならぬことを示すものである。日本島という大陸から離れた島の中において、三千有余年の間一所〈ヒトトコロ〉に居住しておる間に、混血がおこなわれ、東北人の血管にも南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れておると見られるのである。

【一九四九年論文】これによつてみると、日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示しているとゆうべきであつて、「四海同胞」とゆう言葉の字義通り我我日本人の脈管の中には一様の血液が流れて居るのである。つまり日本島とゆう大陸から離れた島の中で、二千有余年の間一所に住居して居る間に、混血が行われ、東北人の血管にも、南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れて居るものと見られるのであつて、又日本人は共同の祖先を持つ民族と考えてよいのである。

 まず、一九三五年論文のほうから、見てみよう。そこには、「日本民族は血液型より見ると、その混血がほとんど平等におこなわれておることを示す。これは日本民族が建国以来上に万世一系の皇室を奉戴する大家族民族たることを闡明しているものというべきである。」とある(下線)。
 日本列島において、構成民族の混血が進み、全国どこでも、ほぼ一様の血液型分布が見られるようになったことは間違いない。しかし、このことから、なぜ、日本民族は、「万世一系の皇室を奉戴する大家族民族」であるという結論が導けるのだろうか。明らかに飛躍した論理であって、もちろん、血液学型学者、法医学者の言うべきことではない。このことは、二〇一二年八月八日のコラムでも、すでに指摘している。
 次に、一九四九年論文のほうを見てみると、そこには、「日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示している」とある(下線)。
 さすがに、「万世一系の皇室を奉戴する大家族民族」という表現は避けているが、「血縁を等しうする大家族民族」という表現がある。日本人=大家族民族という認識そのものには、変化がなかったもようである。
 また、一九四九年論文には、「日本人は共同の祖先を持つ民族」という表現がある。この表現は、一九三五年論文にはなかった。日本列島において混血が進み、全国で同じような血液型分布が見られるようになったということから、なぜ、日本民族は「共同の祖先」を持つという結論が導けるのだろうか。これまた、飛躍した論理だと言う以外ない。このことについては、すでに、一昨日のコラムでも触れている。
 ところで、こうして、一九三五年論文と一九四九年論文とを比較してみると、ひとつの憶測が思い浮かぶ。すなわち、古畑種基のいう「共同の祖先」というのは、「万世一系の皇室」のことではないのか。日本民族は「万世一系の皇室を奉戴する大家族民族」であると表現する代わりに、古畑は、「日本人は共同の祖先を持つ民族」という表現を選んだだけなのではないか。
 これは、あくまでも憶測であって、断定はしない。しかし、古畑種基が、戦前・戦中・戦後を通じて、その「民族主義」を貫いていたことは間違いない。二〇一二年八月八日のコラムでは、その民族主義を、「血液型ナショナリズム」と呼んでおいた。

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