礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岡田啓介、永田鉄山らによる政党再編成計画

2016-10-18 16:48:26 | コラムと名言

◎岡田啓介、永田鉄山らによる政党再編成計画

 昨日の続きである。梨本祐平の「社会大衆党解党秘史――近衛新体制の捨石となつた麻生久」(『日本週報』第四八三号、一九五九年六月四日)を紹介している。本日は、「永田鉄山暗殺さる」の節を紹介してみたい。

 永田鉄山暗殺さる
 迫水〔久常〕は、岳父は岡田〔啓介〕首相に政党再編成の必要を持ちこみ、毛里〔英於菟〕は、義兄亀井貫一郎にはかり、亀井は兄事する麻生久に相談し、新生〔ママ〕は、農林関係の井川忠雄、産業組合の千石興太郎〈センゴク・コウタロウ〉たちを抱きこんで、政党再編成の計画を練りはじめた。
 亀井と麻生とは、幾度か永田〔鉄山〕と懇談して、きわめて秘密裡に、政党をいかにして、再編成すべきかの計画を進めた。
 昭和十年〔一九三五〕八月、永田は相沢〔三郎〕中佐の兇刃のため刺殺された。政党再編成計画も、中途にして挫折の止むなきに至つたが、岡田首相と、若き官僚群と、麻生、亀井たちは、依然として連絡を緊満にして、来たるべき時機に備えていた。十一年〔一九三六〕二月、第十九回衆議院総選挙が行われ、麻生の率いる社大党〔社会大衆党〕は、わずかに三名の代議士が、一躍して十八名になつたという奇跡に近い成績を示したが、これは永田が生存中、合法的革新を計画した内務官僚、ことに唐沢俊樹〈カラサワ・トシキ〉(当時〔内務省〕警保局長)と、麻生の提携によつてあげられた成果に外ならなかつた。岡田啓介伝には、金額は示されていないが、相当額の選挙費が、麻生に渡されたことが記されている。
 当時無産党の選挙といえば、つねに弾圧を蒙り〈コウムリ〉、選挙資金にも事欠いていたのが、内務官僚の援助をうけ、選挙資金も比較的豊富にまわつたのであるから、有利な闘いを進めることができたのである。
 その翌十二年〔一九三七〕年四月の、第二十回衆議院総選挙で、社大党は三十八名に躍進して、世人を驚倒させるとともに、麻生の政治的地位が高まつたことは当然である。

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