礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

萩原朔太郎「病床生活からの一発見」(1938)

2017-06-02 02:30:53 | コラムと名言

◎萩原朔太郎「病床生活からの一発見」(1938)

 昨日に続いて、萩原朔太郎のエッセイを紹介する。本日、紹介するのは、「病床生活からの一発見」の全文である。引用は、『日本への回帰』〔萩原朔太郎全集 10〕(小学館、一九四四)から。

  病床生活からの一発見

 病気といふものは、私にとつて休息のやうに思はれる。健康の時は、絶えず何かしら心に鞭うたれる衝動を感じてゐる。不断に苟々〈イライラ〉して、何か為よう〈シヨウ〉と思ひ、しかも何一つ出来ない腑甲斐なさを感じてゐる。毎日々々、私は為すべき無限の負債を背負つてる。何事かを、人生に仕事しなければならないのだ。私が廃人であり、穀つぶし〈ゴクツブシ〉でないならば、私は何等か有意義の仕事をせねばならない。所が私といふ人間は、考へれば考へるほど、何一つ才能のない、生活能力の欠乏した人間なのだ。文学の才能すらも、私には殆んど怪しいのだ。
 私は駄目だ! この意識が痛切にくるほど、自分を陰欝にすることはない。結局して、自分は一個の廃人にすぎないだらうといふことが、厭らしい必然感で、私の心を墓穴の底にひきずり込む。しかもそれが、殆んど或る時は毎日なのだ。私はこの苦痛をまぎらすために、どうしても酒を飲まずに居られないのだ。しかも酒を飲むことから、一層悲痛になり、絶望的になつてしまふ。私は近頃、或る女流詩人の詩集の会で、侮辱された一婦人のために腹を立て、悲しくなつて潜然と泣いてしまつた。何者にもあれ、人を侮犀することば我れを侮辱することになるのだから。
 所が病気になると、かうした生活焦燥が全くなくなり、かつて知らない静かな澄んだ気分になれる。なぜだらうか? 病気は一切を捨ててしまふからだ。私はこの二月以来、約二ケ月の間も病気で寝床に臥通し〈フシトオシ〉だ。初めの間、さすがに色々な妄想に苦しめられた。だがしまひには、全く病床生活に慣れてしまひ、全く何事も考へなくなつてしまつた。病気の時は、人はただ肉体のことを考へる。健康が、少しでも早く回復し、好きな食物が食へ、自由な散歩ができたらば好いと思ふ。病気の時ほど、人は寡慾になることはない。私に水とパンと新鮮な空気を与へよ。幸福は充分だとエピクルスが言った。病気は、丁度さういふ寡慾さで、人をエピクルス的の快楽主義者にする。何の贅沢の慾望もない。普通の健康と自由さへあるならば、街路に日向ぼつこをしてゐる乞食さへも羨ましいのだ。
 何よりも好いことは、病気が一切をあきらめさせてくれることだ。病気の時には、一切のゾルレンが消えてしまふ。「お前は病気だ。肉体の非常危期に際してゐる。何よりも治療が第一。他は考へる必要がなく、また況んやする必要がない」と言ふ、特赦の休日があたへられてる。それの意識が、すべての義務感や焦燥感から、公に自己を解放してくれる。病気であるならば、人は仕事を休んで好いのだ。終日何も為ないでぶらぶらとし、太々しく〈フテブテシク〉臥てゐた所で、自分に対してやましくなく、却つて当然のことなのだ。無能である乙とも、廃人であることも、病気中ならば当然であり、少しも悲哀や恥辱にならない。
 健康の時、私は絶えず退屈してゐる。為すべき仕事を控へて、しかもそれに手がつかないから退屈するのだ。退屈といふものは、人が考へるやうに呑気なものぢやない。反対に絶えず腹立たしく、苛々とし、やけくその鬱陶しい気分のものだ。
 所が病為をしてから、この小断の退屈感が消えてしまつた。人は私に問ふた。二ケ月も病床にゐたら、どんなに退屈で困つたらうと。然るに私は反対だつた。病気中、私は少しも退屈を知らなかつた。天井裏にゐる一疋の蝿を見てゐるだけでも、また昼食の菜を想像してゐるだけでも、充分に一日をすごす興味があつた。健康の時、いつもあんなに自分を苦しめた退屈感が、病臥してから不思議にどこかへ行つてしまつた。この二ケ月の間、私は毎日為すこともなく、朝から晩まで無為に横臥して居たにかかはらず、まるで退屈といふ感を知らずにしまつた。稀にそれが来ても、却つて心地よい昼寝の夢に睡眠を誘ふばかりであつた。もし之れが、実の退屈といふものならば、退屈は願はしいものだと思つた。しかもこんな経験は、かつて健康の時に一度も無かつた。
 この病気の経験から、私は「無為自然」といふ哲学の意味を知つた。私はユピクルスを知り、老子を知り、そして尚且つストイツクの本来の意味さへ解つた。すべて此等の宗教(?)は、人生に安心立命の道を教へる。そしてこの安心立命に至る手段は、要するに慾望を捨て、義務感を去り、生活に対する一切の責任感をあきらめてしまふことにあるのだ。既に一切をあきらめる。故に焦燥もなく、煩悶もなく、義務感もなく、真に、無為不善でありながら、しかもまたその無為によつて退屈に悩まされることもない。即ち所謂「悠々自適」の境に達し、安心立命して暮すことができるのだ。 .
 病気が、この種の宗教の真意を教へた。私は病気中、すくなくとも悠々自適に近い心境を体験した。私は無為に居て無為を楽しみ、退屈に居て退屈の満足を初めて知った。それからあらゆる一般の病人が、だれもこの心境では同じでないかと考へた。そとでふと正岡子規のことが考へられた。あの半生を病床に暮した子規が、どんな詩を作つたかといふことが、興味深く考へ出された。私は古い記憶から、彼の代表的な和歌を思ひ出した。それらの和歌は、床の間の藤の花が、疂に二寸足らずで下つてゐるとか、枕元にある茶碗が、底に少し茶を残してゐるとかいふ風の、思ひ切つて平凡退屈な日常茶飯取を、何等の感激もない平淡無味の語で歌つたものであつた。
 かうした子規の歌――それは今日でもアララギ派歌人によつて系統されてる。――は長い間私にとつての謎であつた。何のために、何の意味で、あんな無味平淡なタダゴトの詩を作るのか。作者にとつて、それが何の詩情に価するかといふことが、いくら考へても疑問であつた。所がこの病気の間、初めて漸くそれが解つた。私は、天井裏に止まる蝿を、一時間も面白く眺めてゐた。床にさした山吹の花を、終日倦きずに眺めてゐた。実につまらないこと、平凡無味なくだらないことが、すべて、興味や詩情を誘惑する。あの一室に閉ぢこもつて、長い病床生活をしてゐた子規が、かうした平淡無味の歌を作つたことが、初めて私に了解された。世にもし「退屈の悦び」「退屈感からの詩」といふものがありとすれば、それは正岡子規の和歌であらう。退屈もそれの境地に安住すれば快楽であり、却つて詩興の原因でさへあるといふことを、私は子規によつて考へさせられた。
 既に子規の歌が解つた私は、ついであの日本文学に於ける大なるスフインクス――自然主義の文学と文学論――を埋解することも容易であつた。自然主義の文学論はできるだけ平凡無味の人生を、できるだけ無感激で書くことを主張した。
「平凡を平凡の筆致で書く」
「退屈を退屈の実感で書く」
 これが自然派文学の主張であつた。そこで彼等の作品ほど、文字通りに退屈極まる文学を、かつて世界に見たことがない。それらの文学は、じめじめした倦怠無意味の生活を、真にその退屈の実感で書いてゐた。かうした文学がいつたい「何のために」「何の興味」で創作されるのかといふことは、子規のタダゴト歌以上に、私にとつて釈き〈トキ〉がたい謎であつた。
 病床生活から、私は初めてこの文学の謎を解いた。すくなくとも彼等が、あんなにくだらない平凡茶飯事を、何のために書いたかといふことの、不思議な心境が理解された。実に病気の間、私にとつて生活の最も平凡無味のことが面白かつた。病気の疲弊した脳髄は、終日休息を欲して睡眠をむさぼつた。さうした私の脳髄には、あらゆる刺戟性のものが不快であつた。強い調子や、力のある思想や、感激性の高いものや、詩的情熱の燃えてるものや、すべてその種の読み物や談話やは、生理的に不愉快であり、異常の感をあたへた。私の疲労した身心は、静かな茶の間の一室で、鉄瓶の湯の煮える音を楽んだ。妻や近所の細君たちが、愚にもつかない日常の世間話をしてゐるのが、何よりも興趣深く、且つ恍惚とした詩情にさへ思はれた。それらの平凡無味なタダゴトが、いつも私を心地よい夢の恍惚にさそふまで、特殊な俳味的の芸術心境を感じさせた。この体験から、私は子規の歌がわかり、自然派小説がわかり、その他いろいろな事が解つて来た。

 書き写しながら、萩原朔太郎の文章力に敬服した。切り口に意外性があるにもかかわらず、論理の展開が自然で、事例の出し方が巧みなために、妙に説得力がある。
 細かいことを言えば、「テン」の打ち方が絶妙である。読者の理解を助けるため、読者の誤読を避けるため、おそらく、意図して多めにテンを打っているのであろうが、その打ち方が理にかなっている。
 なお、はじめのほうに、「潜然と泣いてしまつた」とあるが、これは原文のまま。「潜然」は、「潸然〈サンゼン〉」の誤植かとも思ったが、「潜然」という言葉もあるらしい。「潜然」の読みは、「せんぜん」あるいは「さめざめ」であろう。
 エッセイ「病床生活からの一発見」は、『日本への回帰』(白水社、一九三八年三月)に収録されたものが初出だという。

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