礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ジラード事件と林逸郎弁護士

2017-06-15 06:32:13 | コラムと名言

◎ジラード事件と林逸郎弁護士

 あい変わらず、ジラード事件の話である。
 山本英政氏の『米兵犯罪と日米密約』(明石書店、二〇一五)は、この事件に関する唯一の包括的な研究である。この本から学んだことは多々あるが、個人的に最も興味深かったのは、ジラードの弁護人を務めた林逸郎(一八九二~一九六五)の弁護の様子について紹介している部分であった。
 林逸郎という人物については、すでに、当ブログでも採り上げたことがある。戦前には、五・一五事件の弁護人を務め、天皇機関説を排撃する本を出し、大本教事件の弁護人を務めている。戦後の東京裁判では、橋本欣五郎被告の主任弁護人であると同時に、弁護団のスポークスマンを務めた。
 その林逸郎が、ジラード事件では、ジラード被告の弁護人を引き受け、内外からの注目を浴びることになった。
 山本英政氏は、前掲『米兵犯罪と日米密約』の一八五ページで、次のように述べる。

 ジラードの弁護人を務めたのはのちに日弁連の会長になる林逸郎である。戦前の血盟団事件や五・一五事件の弁護を担当した林は戦後の東京裁判では日本人弁護団のスポークスマンとなり、A級戦犯橋本欣五郎の主任弁護士を務めた人物である。ジラードを弁護する経緯を林は、日本人を交通事故死させたジラードの友人、ギリー三等特技兵を執行猶予にした関係からとしていた。その林はこの裁判に特別な意義を見出していた。それは日本の裁判を「イヌ、ネコ裁判」と愚弄したアメリカにその近代性を示し一矢報いることである。彼を主任とする三人の弁護団のなかに三文字正平という人物がいた。七人のA級戦犯の遺骨の一部をGHQの監視の目を盗んで回収し、一九五二年のサンフランシスコ講和条約の締結に合わせて、「殉国七士の墓」を林逸郎とともに建立したのだという。

 これによって、ジラード被告の弁護団には、三文字正平〈サンモンジ・ショウヘイ〉弁護士もいたことが判明する。三文字正平は、東京裁判では、小磯国昭被告の弁護人を務めている。林逸郎とは、よくよく縁の深い人物である。
 文中に、「日本人を交通事故死させたジラードの友人、ギリー三等特技兵を執行猶予にした」(下線)とある。『米兵犯罪と日米密約』によれば、一九五七年(昭和三二)二月二日、ジラードと同じく第八騎兵連隊に所属していたギリー三等特技兵が、酒に酔って車を運転し、自転車の日本人をはねて即死させ、逃走したという事件が起きた。このひき逃げ犯に、執行猶予がついた事情はわからないが、ともかく、この事件でギリーの弁護人を務めたのが林逸郎であった。そのことを伝え聞いたジラードが、林に弁護を依頼したということらしい。
 当ブログでは、このあと、ジラード事件公判において、林逸郎弁護士がどのような論理を展開したか、林自身がこの事件をどう振りかえっているか、などについて紹介してゆく予定だが、とりあえず明日は、話題を変える。

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