礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

著者も著者だが本屋も本屋だ(吉野作造)

2016-10-25 09:06:19 | コラムと名言

◎著者も著者だが本屋も本屋だ(吉野作造)

 昨日の続きである。尾佐竹猛〈オサタケ・タケキ〉の『維新前後に於ける立憲思想』の実業之日本社版(一九四八年一〇月一五日)を紹介している。なお、昨日、言い忘れたが、この本は、未完成のまま中断した「尾佐竹猛全集」の第一巻にあたる。
 本日は、実業之日本社版の巻頭に置かれている吉野作造博士の「本書推薦の辞」を紹介する。この一文は、同書の文化生活研究会版(一九二五)、邦光堂版(一九二九)の巻頭にあったが、中文館書店版(一九三四)では省かれた。それが、戦後の実業之日本社版で復活したのである。
 なお、文中に、年齢の話が出てくるが、吉野作造の生没年は、一八七八~一九三三、佐々木惣一のそれは、一八七八~一九六五、尾佐竹猛のは、一八八〇~一九四六である。

 本 書 推 薦 の 辞
 本書の公刊を勧めたのはたしかに私だ。公刊を勧めたからとて序文を書かねばならぬ義理はない。尾佐竹君は私に何か書くべき義務あるかに決め込んでをさまつて〔納って〕ござる。こツちも平気で知らん顔で居ると、印刷も段々功を進め遂に書肆の方から序文はまだかと催促して来る。それでも知らん顔して済まして居ると、とうとう尾佐竹君がやつて来た。時は大正十四年〔一九二五〕十一月十二日の夜、退ッ引〈ノッピキ〉ならず承諾を余儀なくさせられて今日の午後やうやく筆を取る。尾佐竹君は実は斯の〈コノ〉方面の研究に於て私の先生格だ。だから序文などを書くに気がひける。けれども先生の懇嘱はまた拒み難い。だから恐る恐る筆を執る次第である。
【一行アキ】
 十二日の夜、尾佐竹君と入れ違ひに京都帝大の佐々木惣一君が来た。玄関先でお互を簡単に紹介し、尾佐竹君を送つて佐々木君を客間に迎へる。尾佐竹君テ未だ〈マダ〉若いんだナと佐々木君がいふ。年は聞いたことはないが成程私共(佐々木君と私とは同年である)より若いやうだ。而して若いと不思議がられるのは、尾佐竹君は幕末から明治初年の古い所を永年丹念に研究して居られるからだ。あんな事をやつて居ると老人と間違られて困るとは、尾佐竹君自身からも屡々聞く述懐である。
 そこで問題は、幕末維新の研究は一体老人の閑事業たるべきものかどうかといふことになる。開き直つて斯う〈コウ〉訊くと、誰もハイ左様といふ人はないが、従来の世間は、尾佐竹と聞いてすぐ老人を連想する程、此種の研究をば閑事業視して居た。之と同時に、尾佐竹君の維新研究も亦よく知れ渡つた事柄である。斯くして尾佐竹君のこの研究には少くとも次の二つの特色がある。第一は従来多く老人の閑事業として弄ばれてゐた事柄を生気潑剌たる若い頭で研究してゐるといふことで、第二は老人と思はれる程同君は青春の時代から永年この研究を継続されて居ることである。
【一行アキ】
 斯うした研究を尾佐竹君は何年程やって居るのか、之もまだ聞いた事はない。私が大正十年の秋から真剣に始め出した経験から推測すると、二十年は少くとも経過してゐる筈だと思はれる。幕末から明治の初年に亘つては勿論のこと、実は明治から大正にかけての出来事でも、何の問題を持て行つたつて同君で埒〈ラチ〉の明かぬ事はない。聞いても居られるだらうが読んでも居られる。殊に根本資料の蒐集に至っては驚くべき程豊富であつて、而も〈シカモ〉その範囲は普ねく文化各般の方面に亘つて居る。同君の如きこそ真に〈シンニ〉活き字引といふべきである。徳川文化に大槻如電〈オオツキ・ジョデン〉あり明治文化に尾佐竹雨花〈ウカ〉子ありと謂て〈イッテ〉も失当ではあるまい。私の先生格だから讃める〈ホメル〉のではない。之だから私が先生として崇め奉つてゐる訳も分るだらう。大審院判事などにしておくには本当に惜しい代物〈シロモノ〉である。
 尾佐竹君を私が識つたのは割合に新しい。「法学志林」などに明治初年のことを断片的によく書く雨花生の名は固より〈モトヨリ〉古くから知つて居た。「法学志林」は面白い老人を捉へて居るなと永い間之を愛読して居つた〈オッタ〉が、之が壮年の尾佐竹君だとは実に意想の外であつた。先年穂積重遠〈ホヅミ・シゲトウ〉君の紹介で大学の集会所で相見た〈アイミタ〉のを始めとし、其後時々往つては珍本を見せて貰つたり御話を伺つたりして居る。此頃は驥尾〈キビ〉に付して明治文化研究会を作つて居るので接する機会は多くなつた。そして相識る〈アイシル〉こと深ければ深い程、同氏の蘊蓄〈ウンチク〉蔬蓄の量るべからざることに驚歎せずには居られない。従て本書の如きは同氏の学識から云へば実はホンの片鱗に過ぎないのである。
 尾佐竹君の本書は、著者の蘊蓄からいへばホンの片鱗に過ぎないが、学界に対する新提供としては、実に処女地に打建てられた一大標本と謂つていゝ。といふ意味は、第一に本書が取扱つた部門に於て我国は未だ一冊も学術的著書を有たないのである。有るものは多くは全然根本資料に触れざるお座なりの書きなぐりに過ぎぬ。第二に今後誰がこの方面の硏究を嗣いで〈ツイデ〉も一寸〈チョット〉本書だけのものゝ出来る見込はないと信ずる。尾佐竹君の有つてる〈モッテル〉位の資料を集める丈け〈ダケ〉でも十年位はかゝるからだ。加之〈しかのみならず〉斯〈この〉種の硏究は疾に〈ツトニ〉無かる可らず〈ベカラズ〉して永く無かつたものである。然らば本書の学界に於ける地位や多言を要せずして明〈アキラカ〉であらう。
 初め本書の早稿は雑誌「法律及政治」に載せられた。全部結了するまで二年余の歳月を費したかと思ふ。之を切り取つて私は立派に製本し、日夕〈ニッセキ〉参考して現に多大の益を得て居る。而して其のうち一冊の本になることと待つてゐたが一向そんな気色もない。著者の無頓着は致し方がないが、之れ程の原稿に眼をとめぬ本屋の間抜けさ加減は一体どうしたものだ。著者も著者だが本屋も本屋だ、公益の為之は黙視してはおけぬと憤慨したのだが、著者にすゝめ書肆に説いて遂に公利を見るに至つた原因である。尾佐竹君が私に序文を求めたのは、産婆役たる私に花を持たす積りかも知れぬが、若しさうならそれは有り難迷惑〈アリガタメイワク〉の至りだ。が、それでも斯かる不朽の名著に序するの光栄を思ふと、心ひそかに満悦を覚へぬでもない。
 此本の売れる売れぬは私の関する所ではない。只明白疑〈ウタガイ〉のない事は、苟くも〈イヤシクモ〉明治文化の研究に志す者、就中〈ナカンズク〉明治憲政の発達に説する確実なる知識を得んとする者は、必ず本書一本を座右に具ふる〈ソナウル〉に違ひない事である。本書を一度も読まずしては明治文化を語るの資格はなく、明治憲政史の正確なる知識は本書を閑却する者には恐らく絶対に閉ぎさるべきを以てゞある。此意味に於て本書は篤学の読書子から大に〈オオイニ〉歓迎せらるべきは論を待たぬ。而して〈シコウシテ〉私のこゝに長々と敢て推薦の辞を列ぬる〈ツラヌル〉所以は、本書が少数の篤志家以外にも広く普及せんことを希望するからに外ならぬ。専門的の六つかしい〈ムツカシイ〉書き方を取つて居ないことも、此際付け加へて申しておく。
【一行アキ】
 最後に私は篤学なる読書子を代表して著者に数ケ条の註文を述べておきたい。一は本書の外従来発表せられた諸篇をも全部彙類して近く刊行せられんことである。二は今後とも注意して本書の訂正増補を心掛けられんことである。三は漸次本書の続編に筆を染められ切めて〈セメテ〉日清戦争頃までゞもの明治文化史を大成せられん事である。之等みな著者を煩さずしては容易に出来ぬ仕事だ。著者の健勝を真に心から祈つて熄まない〈ヤマナイ〉。
  大正十四年十一月十五日
          吉 野 作 造

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