礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

救助されるという安心で一ぺんにぐったりと来た

2017-05-14 03:07:44 | コラムと名言

◎救助されるという安心で一ぺんにぐったりと来た

 四月二六日のブログ「陸奥爆沈は永久の謎となろう(北上宏)」で、北上宏の「軍艦・陸奥爆沈の真相」という文章(一九五六)を紹介した。「軍艦・陸奥爆沈」とは、一九四三年(昭和一年)六月八日の白昼、広島湾南部の連合艦隊秘密泊地に停泊中の、軍艦・陸奥が、大音響とともに爆沈した怪事件である。
 北上宏は前記の文章の中で、「海軍部内でもM事件と名づけ陸奥爆沈などとは一切言わない程の注意が払われたので、終戦までこの事件を知らない人が多かつた」と述べている。もちろん戦後は、この事件が公になり、関係者が「真相」を語りはじめた。北上宏のこの文章も、そのうちのひとつである。
 また、生存者の体験談も発表されている。そのひとつとして、よく知られているのが、中川要の「戦艦陸奥の爆沈」である。この文章は、最初、土曜通信社刊の月刊誌『今日の話題 戦記版』の第一六集(刊行年月は未確認)として発表され、その後、土曜通信社の「今日の教養文庫」の『太平洋戦争実戦記 4』(一九六三年四月)に、収録されている。
 中川要は、土浦海軍航空隊の甲種飛行予科練習生として、「艦務実習」中に、この事故に遭遇した。全体に、非常に興味深い文章だが、本日は、「静かなる最後」の章に含まれる二節分のみを紹介したい。

  艦 尾 の み 残 る
 待つ身はつらいというが、救助はどうしてかはかどらず、救助艇はなかなか私たちの方にはやってこない。雨はやっとあがった様だったが、寒さと疲労と、空腹で私たちはだんだん心細くなった。しかし誰一人救助を求める人もなく、ただじっと救助艇の活躍を歯グキをガタガタいわせながら見守っていた。すると右前七、八十米〈メートル〉位いにいた一かたまりの人たちが、
「助けてくれーい。ケガをしてるんだぞ」と大声で救助を求めはじめた。すると堤をきった水の如く、あっちからも、こっちからも「助けてくれーい。助けてくれーい」という声がしだし、軍人精神などもどこへやら、誰も彼もあわれな声を出して必死になって叫んでいる。私たちも急に心細くなって、一二三と声をそろえて叫び出した。
「助けてくれーい。四人おるぞ、ケガ人があるぞ」
 又一呼吸ついては、一二三と声をそろえて叫びつづけた。どんな時でも、一人でも弱音をはき出すと、軍人精神もなにもあったもんではないなと、私は叫びながらつくづく情なく感じた。それでも私たちは叫びつづけた。
 あわれな声をふりしぽって、
「助けてくれーい。早くきてくれーい。ケガ人がいるぞーっ」と。
 それからまた大分たって、やっと一隻のカッターが私たちの重油の層の方にやって来はじめた。
「来た来た。来たぞ」私たちは口々にこう叫んで、又一段と声をはりあげて救助をもとめた。私たちが必死になって見つめるうちにそのカッターは、だんだん近づいて来ていたが、急に今まで綺麗に合っていた櫂が、バラバラに乱れて、艇は止ってしまった。浮流物や大変な重油のためにすべって艇が動けなくなったらしい。
「なにしよるんか、くそっ」と私たちは切歯した。すると一人の水兵が艇尾に立ってむこうをむいて手旗信号を始めた。
「フリウブツノタメ テイノシンコウフノウ シキウ エイコータノム」
「チェッ、何時〈イツ〉のことかわかりゃせん」
 私たちはガッカリして声も出なくなった。今まで気がつかなかったが、その方向に軽巡らしい艦がぼんやりとかすんで見えた。一隻、二隻、三隻、四隻
「おい、あすこにも大きいのがいるぞ」
西川にそう云われて見れば、転稷した陸奥のむこうに、これもぼんやりとかすんで相当大きな軍艦のマストが見えた。(これが扶桑だった)「扶桑もやられたっていうが、あのマストの格好は扶桑によく似てるのう」
 私ははじめ乗りこむことになっていた扶桑の前檣の根本が特徴あるまがり方をしているのを憶えていた。
「それにしてもどうしたんかのう?」私はもう一度そう考えてみた。
 時計もないし太陽も見ることが出来ないので時間がさっぱりわからないが(後できくところころによると大体三時半)
「みろ、もうあんなに沈んだぞ!! 」西川にいわれて見れば、陸奥の前部は殆ど水面に影を没しようとしていた。そうして私たちの見ているうちに沈んでいった。それは静かなる往生だった。あれほど私たちの心配していた渦なども全々起らず、海の城といわれた大戦艦の最後としては、あまりにあっけなく、しかしそれだけに堂々たる最後のように思えた。艦尾も大部沈みはしたがまだまだ盛んに水煙をあげていた。あの下では多くの人たちが苦しみながら死んでいったであろうと思えば私の心は暗くなるのだった。艦首のブイも其後大分(三十分間位い)浮かんでいたが、知らぬ間に沈んでしまっていた。くさりのたるみのある間は浮かんでいたが、その後艦にひきづられて沈んでいったらしい。その少し前までまだ相当数の人が乗っていたようだったが、沈没の瞬間を目撃できなかったのでどうなったかわからないが、気がついてブイのなくなっているのを見て私はハッとした。刻々沈みゆく艦を見ながら、最後まであそこに留まっていた人たちだから、きっと泳ぎには自信のない人たちだろうが……私は暗い気持だった。
  遂 に 救 助 さ る
 私たちの待ちにまったカッターは、本艦から来た内火艇に曳行されて一度、浮流物の外に出て今度は遠く迂回して私たちの救助にやって来た。
「イーチ ニ、イーチ ニ」と見事なピッチで艇は近づいて来た。
私たちは土空〔土浦海軍航空隊〕で「陸々短々猛訓練」という言葉をさかんにつかっていたが、日課表の陸戦二時間、短艇二時間の略称のことで、陸戦とともに苦しい課程の一つで、何回となく乗りなじみ深いカッターだったが、艇外から見るのは始めてで、意外に船べりの高いのには驚いた。
 先ずケガをしている水兵を艇の人たちがひっぱりあげた。ぐったりとしているうえに体中重油でズルズルで艇の人も手こずっていた。
「さあ次、来い」という声に私は五十嵐の方をかえりみた。
「ハイッ」と五十嵐は元気に船べりに手をかけた。パチャッと音がして、グーンととびあがるのかと思っていた私たちの前でフニャフニャフニャと五十嵐は崩れおちそうになった。私はアッとびっくりしたが、
「この野郎!元気出さんか」という艇員の一喝とともに五十嵐はひっぱりあげられた。長い時間の疲労と空腹、それに救助されるという安心で一ぺんにぐったりと来たらしい。
「さあ、次!!」とまた声がかかって西川がチラッと私の方をみて、
「いくぞ」といって艇にとびついた。私はうなずいて之を見送った。ところがどうだろう。西川も五十嵐と同じようにフニャフニャと崩れおちてしまったのである。
「こいつもか!!」艇員の人たちは口々に叫びながらひっぱりあげた。なんだ西川の奴もか、だらしがないなあと思った私は、
「よし、俺は人手をかりずに乗ってみせるぞ」と思いながら艇からの合図をまった。
「さあ、も一人か来い!!」
「ハイッ」と私は元気を出して、パツと船べりに手をかけた。そして「ウン」と力を入れて体をもちあげようとしたが、手がズルズルして力が入らない。
「こら、元気出さんか」という艇員の声にもう一度力を入れてみたがだめ、クラクラして体が海の中へひきこまれそうである。
「この野郎、元気だせ」という声とともに先の三人同様、私もひっぱりあげられた。今考えてもおかしいようだが、あの瞬間まではあれだけはりきって、前二人の元気のないのを笑った私だったが、やっぱり駄目だった。後で救助された人の話をきくとみんながそうだった。ひどいのになると艇に手をかけたまま、事きれている人もいたなどときいて、なるほどと思ったものであった。
 私たちは、安心と寒さと、疲労と空腹で、ぐったりして艇の底に横になった。
「大丈夫か、しっかりせい」と艇員の人々がかわるがわる背中をたたいたり、肩をたたいたりして下さった。
「おい、お前たちは実習飛行兵か」その人も救助された人らしく、軍服はぐっしょりと濡れ、下半身は私たちと同様重油でまっ黒である。
「ハッ、そうであります」
「お前たちもそうか」
 西川、五十嵐も元気に答えた。
「そうか、よく助かったのお。もう大丈夫だから安心せえよ。これから先、こんなことは再々だよ。そういう点からいって、お前たちは又とない経験をしたことになるよ。考えようによっては今日のことは感謝せにゃいけん位いだぞ。もう安心だ。元気を出せ。元気を」
 一兵卒あがりなのであろうその人は、胸に「青葉中尉」と書いた布きれを縫いつけた、好々爺〈コウコウヤ〉という感じの人だった。口びるのへんに相当ひどい怪我をしているらしく、タラタラと鮮血がながれていた。それでも私たちに元気を出させるためか、ニコニコと断えず笑っていた。
 私はこのときほど嬉しく感じたことはなかった。嬉しかった。熱いなみだが後から後から絶間なく出て来て、重油で真黒に染った膝の上に水滴をつくっていく。【以下、略】

*このブログの人気記事 2017・5・14(4・5・8位に珍しいものが入っています)

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