礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

身捨つるほどの思想はありや

2018-02-19 03:42:23 | コラムと名言

◎身捨つるほどの思想はありや

 数日前、書評紙『週刊読書人』の二月一六日号を買った。トップに「追悼西部邁」とあり、一面から二面にかけて、田原総一郎・猪瀬直樹両氏の対談記録が掲載されている。
 二面の最後に、猪瀬直樹氏の〈追記〉があり、次のようにあった。

 西麻布の路地で西部邁さんの息子さんから声をかけられた。ばったり会って、立ち話になりました。
 姉、つまり娘さんと夜の一時まで新宿の文壇バーで呑んでいて、早く帰れ、というから帰ったが、自殺するに違いないと確信して弟、つまり息子さんを呼び、夜中の三時ごろ多摩川の田園調布五丁目あたりの岸辺に駆けつけた。街灯のない真っ暗闇のなかを姉と弟二人で懐中電灯で探したが何も見えない。ほんとうの闇なのです。【後略】

 報道には、西部邁さんが亡くなったのは一月二一日「早朝」とあった。しかし、実際には、同日の未明ではなかったのか。それにしても、西部さんは、街灯のない真っ暗闇のなか、どうやって岸辺にたどりついたのか。やはり、懐中電灯などを用意されていたのだろうか。
 この追記を読んで、寺山修司の短歌を思い出した。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」。これにならって、一首。「電灯で照らす川面に闇ふかし身捨つるほどの思想はありや」。

*このブログの人気記事 2018・2・19(ミソラ事件と2・26事件とが……)

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