礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

軍権万能時代の現場査閲の実態(1945)

2017-11-21 06:41:17 | コラムと名言

◎軍権万能時代の現場査閲の実態(1945)

 昨日の続きである。森伊佐雄『昭和に生きる』(平凡社、一九五七)によれば、戦争末期のある日、中島飛行機株式会社尾島工場で、「査閲官」による現場査閲があったという。
 本日は、同書から、「査閲官」と題する節の前半部分を紹介してみたい(一五〇~一五一ページ)。

 査 閲 官

 昭和二十年二月二十二日 五時頃、眼をさましてみると、雪が降っている。牡丹雪である。
 出勤時には相当の積雪で、雪の少ないこの土地では大雪なそうだ。工場青年学校の査閲日である。工場の適齢工員が週に二回青年学校に召集され、青年学校令による教育をうけている。教官は予備の中尉で、その下に下士官級の軍歴を持つ指導員が五、六人いる。生徒は二百五、六十人くらいだろう。今日は師団司令部から査閲官がきての査閲だが、生憎〈アイニク〉の雪だ。終日、休みなしに降雪。一日の作業戦果は銀河の内翼、外翼、主桁、たった五台。ストーブの傍で女学生は勉強――といっても大半は本を読んだり、いたずら書きをしているのだ。私の工場における学徒動員の実態である。私たちは雑談である。午後から、査閲官の現場査閲がある由。いったい、査閲官の権限は単に青年学校生徒の査閲だけではないのだろうか。工場の作業状態をも査閲する権限もあたえられているのだろうか。きたついでの査閲などは甚だ有難迷惑である。軍権万能時代である。その現場査閲のためとっておいた三台の主桁を、四、五人の査閲補助官、工場長以下工場幹部を従えた中佐の肩章をつけた査閲官が工場巡視にきたとき、塗装しはじめた。場内に充満する塗料の臭気に、さすがの千軍万馬の軍人たちも工場内には入りかね、雪中を素通りした。軍服に日本刀を吊った、あのいかめしい査閲官も、まさか私たちが一日ストーブにあたっていて、その巡視時の二、三十分だけ忙しそうに機械を回転させて作業したとはご存知あるまい。旺盛なる勤労意欲に満足したことだろう。【以下、略】

 徴用や学徒動員で、多くの人員を集めた軍需工場の実態がこれである。要するに、この時期、設備や人員に見合う「原材料」が涸渇していたということだろう。
 しかし、軍による「現場査閲」は、あいかわらず実施されている。工場としては、それにそなえて、現場査閲用の半製品を用意して置かざるを得ない。まさに本末転倒であるが、これが軍権万能時代の軍需工場の実態だったのである。
 さて、今日誰が、こうした戦中の実態を哂えるだろうか。言いたいのは、当然、日産・スバルで起きた「新車無資格審査問題」である。すでに形骸化した「完成車検査」のために、国土交通省による「現場査閲」の際に、無資格審査員を「正規審査員」と装った自動車会社がある。まさに、官権万能時代における自動車会社の実態と言わざるをえない。

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