礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

歴史家らしからぬ文章

2012-05-30 06:49:13 | 日記

◎歴史家らしからぬ文章

 廃藩置県研究の第一人者である松尾正人氏は、その著書『廃藩置県』(中公新書、一九八六)の「あとがき」で次のように述べている。

―その後、廃藩置県研究会(現在の明治維新史学会)が結成され、折々の研究会で、原口清・毛利敏彦両先生をはじめ、日頃お世話になっている三上昭美先生などから多くの刺激をうけた。歴史学研究会の一九八二年大会で「直轄府県政と維新政権」を報告したことも、廃藩置県の勉学を深めたいという私の思いとなった。―

 廃藩置県研究会の第一回研究会は、一九八〇年一一月一七日に、京都で開かれている。代表幹事は原口清氏、事務局長は毛利敏彦氏であった。この会の席上、創立メンバーのひとりである田村貞雄氏が、毛利敏彦氏の新著(『明治六年政変の研究』、『明治六年政変』)を採りあげ、「史料解釈に多くの無理や錯誤があり、学説としてまったく成立しない」と酷評したらしい。
 おそらく松尾正人氏も、この第一回研究会に出席していたはずである。出席していなかったとしても、毛利説が会の有力メンバーから、厳しく批判されている事実を知らなかったはずはない。にもかかわらず松尾氏は、毛利氏から「多くの刺激をうけた」と述べている。この「刺激をうけた」という表現は微妙だが、氏は実際のところ、毛利氏の問題提起や研究手法から、多くのものを受け取っているように見える。
 毛利氏は、「明治六年政変の研究において今日まず必要なことは、史料の科学的・批判的吟味および論理的操作による史実の確定作業それ自体だと考える」と述べているが(『明治六年政変』あとがき)、松尾氏の一連の廃藩置県研究を見ると、毛利氏の研究手法、すなわち「史料の科学的・批判的吟味および論理的操作による史実の確定作業」を髣髴とさせるところがある。
 松尾氏の場合、しかし、それ以上に毛利氏からの影響を感じさせるのは、その「文章」である。たとえば、『廃藩置県』一五一ページ以下にある次の一文。

―あまりの剣幕である。井上〔馨〕が驚いたことはいうまでもない。ふだんから派手なふるまいで物議をかもすことの多かった井上は、自分の素行をとりたてているのかと聞きかえした。鳥尾〔小弥太〕と野村〔靖〕の返事は、私事をとやかく問題にしているのではない、「国家の大事である」という。そこで井上は笑顔になって、「藩を廃して県を置くといふ議論だらう」といいあてた。野村と島尾が願ってもない井上の返事に驚き、目を白黒させたことは想像にかたくない。井上は、いぶかしがる二人に対し、国家の大事に関係してなおかつ差しちがえて死ぬ決心というほどなら、廃藩の問題であることは明白だと、そのいいあてた理由を答えた。―

 学者らしからぬ筆力であり、文体である。おそらく、毛利敏彦氏の人間臭い「文章」に刺激されたものと推察する。【この話、さらに続く】

今日の名言 2012・5・30

◎いま一番したいことは次の山に登ることです

 今月26日にダウラギリ登頂を果たした登山家の竹内洋岳さんは、28日、無事にベースキャンプに戻った。29日朝のNHKニュースで竹内さんは、記者の「いま一番したいことは何ですか」という質問に対し、迷わず「次の山に登ることです」と答えていた。記者の想定を超える答だったはずである。

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