礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「宮さん宮さん」と丹波山国隊歌

2014-10-27 03:26:18 | コラムと名言

◎「宮さん宮さん」と丹波山国隊歌

 一昨日の二五日は、東京名物・神田古本祭りの初日だった。例によって、露天の店舗には寄らずに、古書会館へ。しかし本年は、手ごろな値段で、かつ「読みたい」と思うような本は、あまりなかった。それでも、計三冊を購入。
 そのうちの一冊は、仲村研『山国隊』(学生社、一九六八)、古書価三〇〇円。山国隊〈ヤマグニタイ〉と言えば、幕末に、丹波国桑田郡山国郷(現・京都市右京区京北〈ケイホク〉)で結成され、官軍に合流した農兵隊である。
 同書の「はしがき」で、著者の仲村研(一九三一~一九九〇)は、次のように書いている。

 毎年十月二十二日、秋の日ざしをあびて、京都の都大路〈ミヤコオオジ〉をねりあるくのは時代祭〈ジダイマツリ〉の行列である。
 そしてたくさんの観衆の前で、必らずその先頭を切るのは、例の「錦の御旗」をいただいた山国隊である。明治維新を象徴する「宮さん宮さんお馬の前に……」の、あの歌の主人公なのである。
 しかし、江戸幕府を倒すために東征した「官軍」を象徴するかのような、この丹波山国隊は武士ではない。農兵隊なのである。しかもこの農兵隊は、武士が「藩」の力を背景に、農、工、商の人たちを上から組織したような兵隊ではない。丹波(京都府の西北)の一山村、「山国」という地方の農民が自主的に組織した兵隊であった。偶然のつながりで因幡〈イナバ〉鳥取藩に付属することとなったが、あくまでも農民が中心であることに変わりはなかったのである。その証拠には、この農兵隊は、一年余の出征中の費用を自弁している。
 それではなぜ丹波山国隊が莫大な費用を自弁してでも、幕府を倒そうとし、倒幕の流れに加わらなければならなかったのだろうか。本書はその問題に答えることからはじまる。倒幕の巨大な流れに、この農兵隊はどのように参加していったのか。また一人一人の農民兵は、なにを考え、どのような行動をとったか。この興味ある問題を、農兵隊の人たちの手記からさぐりだしてみようとした。【以下略】 

 山国隊が、行軍に際して、鼓笛隊の演奏に合わせ、「宮さん宮さん」を歌ったという話を聞いたことがある。上記にある「あの歌の主人公」という表現も、そうした話を踏まえているのであろう。
 しかし、そうした「話」を確認できる史料はあるのだろうか。
 京都の時代祭は、一八九五年(明治二八)に始まったという。その行列の先頭を切るのは、第一回以来、山国隊の鼓笛隊で、これは今日でも変わっていない。今では、Uチューブというものがあり、居ながらにして、時代祭の行列を視聴することができる。しかし、鼓笛隊が演奏している曲は、「宮さん宮さん」ではない。また、行列の人々が、歌を歌っている様子もない。
『山国隊』の本文のほうにも、ザッと目を通してみた。一六一ページ、および一七九ページで、「トコトンヤレ節」に言及している。しかし、一六一ページにある歌詞は、「威風凛々〈リンリン〉山国隊の軍〈イクサ〉の仕様を知らないか/トコトンヤレ トンヤレナ」というもので、「宮さん宮さんお馬の前に……」ではない。また、同書は、山国隊の鼓笛隊が、どの時点で結成されたのについても触れていない。どう考えても説明不足である。もっとも、同書は、「トコトンヤレ節」の研究を目的としたものではないので、そうした説明不足があるからといって、この本の価値が下がるわけではない。
 同書の二五ページに、永井登著『丹波山国隊誌』(一九〇六)の写真が載っているが、あるいは、こうした本は、「宮さん宮さん」について記しているのかもしれない。水口民次郎著『丹波山国隊史』(山国護国神社、一九六六)は未見だが、これも、「宮さん宮さん」について記述している可能性がある。なお、『隊史』には、付録として、『隊誌』が復刻されているようだ。
 インターネットを検索していて、「北山・京の鄙の里・田舎暮らし」というブログに、「山国隊歌と都風流トコトンヤレ節」という記事があるのを発見した。ここで、「山国隊歌」という言葉が使われているのに注目した。少し、引用してみる。 

1.宮さん宮さんお馬の前で きらきら光るは何じゃいな
 トコトンヤレトンヤレナ
 あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか
 トコトンヤレトンヤレナ
2.威風凛々山国隊の戦〈イクサ〉の仕方を知らないか
 トコトンヤレトンヤレナ
3.雨と降り来る矢玉の中を先駆けするのじゃないかいな
 トコトンヤレトンヤ
1節は品川弥二郎作からの借歌で、2・3節が山国隊歌で、隊長の因州藩士河田左久馬〈カワタ・サクマ〉の作という事です。小生も山国隊の鼓笛隊の一員であったころこの歌を教えて貰った。NHKの「私の秘密」というテレビ番組に出演する時であった。お名前は忘れたが、我が田舎からこの番組に出演され、「私の村は維新勤王山国隊が出た村です」という秘密をレギュラー出演者が質問することによってその秘密を解明するという番組であった。で、秘密が明かされた後、我々鼓笛隊がライトアップされた大阪城の本丸から山里丸への階段を行進したあと、山国隊歌をうたうというプログラムであった。 

 ブログの主宰者は、「山国隊の鼓笛隊の一員」だったことがあるという。もちろん、維新当時の「山国隊の鼓笛隊」ではなく、時代祭等における「山国隊の鼓笛隊」のことである。その証言によって、山国隊歌は、「宮さん宮さん」のバージョンであったという推測が可能になる。
 なお、この証言のうち、「鼓笛隊がライトアップされた大阪城の本丸から山里丸への階段を行進したあと、山国隊歌をうたう」という部分は、要注意である。「行進しながら」とは書かれていない。「宮さん宮さん」は、もともと、鼓笛隊の演奏に合わせて歌う歌では「なかった」のではないか。【この話、続く】

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