礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

汝平和を欲するか、然らば正義を耕やせ

2017-02-12 01:16:18 | コラムと名言

◎汝平和を欲するか、然らば正義を耕やせ

 先日、古書展で、『新憲法と労働者』という小冊子を入手した。表紙・裏表紙含めて、十六ページ。紙質はきわめて劣悪である。また、印刷も、きわめて不鮮明。これは、紙質・活字・インクのすべてが劣悪だからだと思われる。
 そうした粗末な冊子であるにもかかわらず、これを買い求めたのは、発行所が「労働省」で、執筆者が「労働大臣」だったからである。帰ってから調べてみると、執筆者の米窪満亮〈ヨネクボ・ミツスケ〉は、海員出身の労働運動家・小説家・政治家で、戦後の片山哲内閣で、初代の労働大臣を務めていることがわかった。
 この冊子の表紙には「労働大臣米窪満亮述/新憲法と労働者/労働省」とある。表紙見返しには、次の一文が記されている。

 本冊子は新憲法公布一周年を
 記念して発行したものである。
  昭和二十三年一月

 そのあと、「序」となり、以下、次のように続く(「目次」はない)。

一 なぜ新憲法の中に労働者に関する規定を設けたか。
二 どういう種類の権利を定めたか。
三 どういう種類の義務を定めたか。
四 団結権、団体交渉権、いわゆる争議権。
五 労働条件の基準の確保。
六 労働権、労働の義務。
七 女子、児童の権利。
八 労働者の責務。

 本文は、計十三ページ、最後の「八 労働者の責務。」は、一三ページまであるが、この一三ページというのは、実質は一五ページ目(裏表紙見返しまで)である。そして、その次のページが裏表紙で、そこに、次のような奥付がある。

 昭和二十三年一月三十日 印刷
 昭和二十三年一月三十一日発行    非売品

 発行所 東京都千代田区代官町一
     労  働  省
     電話・日本橋一五一六番

 さて、本日は、同冊子から、「序」および「一 なぜ新憲法の中に労働者に関する規定を設けたか。」を紹介してみよう。

   
 今から約二十年前〔一九二八〕、わたくしが日本の労働代表としてスイス寿府〔ジュネーブ〕に開かれた〔第一一回〕国際労働会議〔ILO〕に出席した時、事務局長のアルべール・トーマ〔Albert Thomas〕氏から議長槌【ギヤベル】をもらつて帰つた事がある。
 このギヤべル〔gavel〕は、議長が一つの問題を採択した時机を打つて決がとられた事を議場にしらせるためにつかわれたもので、その時までに、この槌は、色々の問題、たとへば八時間労働、婦人の夜業禁止、少年の重労働禁止、最低賃金、失業対策等の重要なる社会問題、人道問題等を採決してきたのである。
 わたくしは、トーマ氏に対しこの槌を日本の労働運動に役立つよう日本労働組合会議(当時日本労働総同盟、官業労働総同盟、日本海員組合等の労働団体の連合体)の会合につかひたいから記念としていただきたいと申し入れた所、トーマ氏は喜んで承諾されそしてその槌に次のようなギリシヤのかく言を刻みつけてくれた。
『シ・ビ・パケム・コーレ・ジヤステシアム』(汝平和を欲するか、然らば正義を耕やせ)
 これは今から二十年前のことであるが、平和を招来する為めには、正義、殊に社会正義を実現しなくてはならない事は今日に於ても依然として真理である。
 殊に今日の日本経済の現状に於て、すなわち十数年に亘る無謀な戦争をつゞけ、為に資金を蕩尽〈トウジン〉し、施設は壊滅し、若干蓄積せる資源は枯渇し、しかも敗戦の結果領土は明治維新当時の状態に縮少され、媾和会議が成立するまで海外との交通貿易が制限され、従つて産業に必要である原材料の輸入に不自由して居る超非常時の今日の状態に於て産業を再建し、生産を復興せんとするならば、産業に関係ある労使其他の各階級の人々が真に社会正義の理念を透徹し、利己主義と自我的観念を排除し、民主主義を基調とする社会連帯主義を、経済復興運動の上に、労働運動の上に具現しなくてはならない事を、初代労働大臣に就任以来絶へず力説してきたのである。私が所謂〈イワユル〉米窪労政の一〈ヒトツ〉として産業平和論を提唱した事は実にこの趣旨に基づくものであつた。新憲法はこういつた民主主義精神に立脚した正義理念に依つて貫かれているのである。 .
 一 なぜ新憲法の中に労働者に関する規定を設けたか。
 わか国は終戦と共に、平和と民主主義をいちばん愛する国として全く新らしく生れ変ることとなつた。従来はわが国は戦争を好み、天皇の名において一部の少数者が国政を独占し経済も文化もその者達の意のままにし、労働者大衆の犠牲の下に、一途に〈イチズニ〉無謀な戦争をやつてきたのである。従つてそこには労働者の自由は無視され、その生活は全く奴隷同様であつたのである。そこでわが国が平和と民主主義をいちばん愛する国として生れ変らんが為には、どうしても労働者の自由を確保し人間らしい生活を保証し、労働者は使用者と対等な地位にしなければならない。そうすれば一部少数者がのさばる余地はなく、わが国をして今度のような過ちをおかさしめるようなことはないであろう。
 新憲法は主権が天皇にあるのでな国民にあることを宣言し、又戦争はもうしないという世界に稀な規定を設けた外〈ホカ〉一般国民の権利義務の一環として労働者の自由を確保し、人間らしい生活を保障すべきことを定めてゐるのはその為である。【以下、次回】
 
 文中に、「汝平和を欲するか、然らば正義を耕やせ」という言葉が引用されている。米窪満亮は、これを「ギリシヤのかく言」としている。断定はしないが、おそらくこれは、ラテン語の格言「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(Si vis pacem, para bellum)を捩ったものであり、これも断定しないが、アルべール・トーマが自作した格言ではなかったのか(「Si vis pacem, cote jusiiciam」If you want peace, you should cultivate justice)。

*このブログの人気記事 2017・2・12(4・9・10位に珍しいものが)

 

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