礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

酒井鎬次は既に仲介案を奇麗に起草していた

2017-07-16 05:59:58 | コラムと名言

◎酒井鎬次は既に仲介案を奇麗に起草していた

 昨日の続きである。富田健治著『敗戦日本の内側――近衛公の思い出』(古今書院、一九六二)から、第四〇「『戦争終結』への木戸構想」の部分を紹介している。本日は、その後半。
 昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 当時原田〔熊雄〕氏は脳血栓再発のため、いつも病床に就いていたが、この書面を見て、涙をポロポロこぼしながら、これを拭ぐおう〈ヌグオウ〉ともせず『近衛〔文麿〕もこゝまで決心してくれたか、又米内〔光政〕をそれ程迄に買ってくれるようになったか、この二人さえ、ガッシリ手を握れば、日本は救われる。終戦は必ず早急にできる。憲兵看視のうるさい中で君もお気の毒ではあるが、是非奮発して、この重大なる連絡係りを努めて下さい』と言われた。私も当時の情景を忘れることはできない。勿論以前から高木〔惣吉〕少将とは御懇意に願っていた私ではあったが、こういう趣旨の下に特に原田氏から米内海相へとりなされることもあったので、爾来度々、茅ヶ崎の高木氏宅を訪れた。憲兵につけられるおそれもあり、空襲や警戒警報で汽車もバスも不規則になっていたので、私はようやく平塚の自宅から自転車に乗って、海岸道路を走りながら、高木氏を訪問したことであった。自転車で行くと二十分はかゝった。その頃は既に夏季に入っていたので座敷に上ると汗が化まらぬ位に出た。克明な高木氏のお話を(高木氏は重要事項は細かくノートに誌して〈シルシテ〉おられた)私もノートする毎にポタポタ汗が紙の上に落ちるのをどうすることもできなかった記憶がある。
 六月三十一日から、近衛公は軽井沢に行かれたが、七月十二日重臣会議列席のために帰京することになり、夕方久々で私に会いたいという軽井沢からの電話であった。そこで私は箱根入生田〈イリウダ〉の近衛邸で午後四時頃から待機していた。近衛公は確か、五時頃自動車で東京から入生田へ帰って来た。そして直ぐ応接間の粗末な藤椅子〈トウイス〉にぐったりと寄り掛かって、しかも痛く緊張した面持ちで、次のように話されたのである。
『えらいことになりましたよ。いよいよあなたにも助けてもらわねばなりませんよ。今日午後一時すぎ重臣会議の席上首相秘書官が紙片を以って鈴木〔貫太郎〕総理の許に口を寄せたと思ったら、耳の遠い総理は、大声で私に向って『近衛公爵、宮中からお召しです』といったので第一に東条など、ギョットして総理を見つめていた。自分は国民服なのでといったが、そのまゝでよいから、至急参内せよとのことである。三時に防空壕からお出ましになった陛下に拝謁した。陛下は終戦につき、私の意見をお求めになったので、私は『最近陸軍から度々人がきて、戦争遂行の可能なことを説明致しますが、その数字が正しいものならともかく、一方海軍の説明を聞きますと、必ずしも信頼を置くことはできません。民心は昂揚せられず、御上〈オカミ〉にお縋りして何とかならないものかとの気持ちが横溢し、又御上をお怨み申す如き言説すら、発見される有様でございます。この際速かに終結することが必要と存じます』と申上げた。すると陛下は『ソ連に使してもらうことになるかも知れないから、そのときはよろしくたのむ』と仰せられた。自分(近衛公)は元来ソ連を信用しないもので、従って、こともあろうに、このソ連に終戦の仲介を頼むなどということには反対なのであるが、防空壕からお出ましになって、お粗末な仮謁見所〈カリエッケンジョ〉で、いつもきちんと整えられているお髪も乱れ、お顔色も青ざめ、痛くおやつれになっておられる陛下の御様子を拝すると、もう何もいえなくなってしまって
『〔日独伊〕三国同盟締結の際(昭和十五年〔一九四〇〕九月)陛下から今後苦楽を共にせよとの御言葉を頂き、その後、陛下日夜の御苦労を拝察いたします時、何とも申訳無く存じておりました。陛下の御命令とあれば、スターリン、チャーチル、トルーマン、何れも世界的な人物で、これと接衝することは容易なことではないと存じますが、身命を賭して参ります。ソ連の仲介による終戦など、私は今迄考えてもおりませんでしたので、いかなる条件でソ連に仲介を頼むか、これから至急研究致しまして、更めて拝謁致したいと存じます。暫らく御猶予を願います』と申上げて、僅に〈ワズカニ〉十分位の拝謁で、おひきうけして退下しました。すぐその後で、木戸〔幸一〕に逢って『ひどいじゃないか、一寸拝謁前に事の内容位、耳打ちしてもよかったではないか』と言ったら、木戸は『僕が言っては、君が中々うんと言うまいと思ったから、陛下から直接御言葉があるようにしたのだよ』と言ってました。ソ連を私は信用しない。兼てから終戦の呼びかけなら、むしろ米英に対してやる、それは直接にするか、スイス・スウェーデン又はバチカンなどを通じてやるかと思っていたのですが、あの陛下の御様子を拝しては、もう何も言われなかった。又木戸も、とにかく終戦のためこゝまで努力して持ってきてくれた、あの本土決戦、一億玉砕の強硬な軍部を抑えて、その面子も立てつゝ、和平に持って行くには、とにかく中立国ソ連に仲介をたのむということより他に、手はなかったかも知れない。そんなことを考えてお引き受けしたのです。そこで早速ソ連への仲介条件起草ですが、あなたの意見はどうですか』とのことであった。
 そこで私は『こんどの仲介条件には軍事的な面、例えば武装解除、撤兵、占領軍問題等々が多いことでもあるし、また遠方の人では連絡にも困りますが、幸いこの入生田(箱根の近衛邸近隣)に住んでおられる酒井鎬次〈コウジ〉(陸軍中将)氏に、起草をお願いしてはどうですか、酒并さんなら、かねてから早期終戦を強調しておられたし、本当の我国軍の現状も知悉しておられるし、この人以外に私は適任者なしと思います。たゞ問題は、酒井さんも、ソ連を最も信頼されない人であるので、ソ連の仲介そのことに強い反対があるかも知れません』と答えたのである。近衛公は、とにかく私から酒井さんによく事情を話して頼んでみてくれないかということになった。そこで即時私は近くの酒井邸を訪問した。夕食をすませて、凉を入れながら、それでも何か読書していた酒井氏は『何ですか関白さん〔近衛公〕、また何か無理を言い出しましたか』というようなことで、私は今聞いてきたばかりの話をして、仲介案起草の大任を引き受けて貰うように頼み込んだのである。ところが私の想像通り、果して酒井氏は『近衛公という人は、好い所もあるのだが、いつも肝腎のところで誤りをする人だ。ソ連に仲介とは何事ですか、自分は絶対反対だ。君も平常の主張と違うじゃないか。近衛公も悪いが、君はもっと悪い。近衛公に思い止まらせなさい。陛下にも木戸にも御忠告をしなさい』と大へんな剣幕であった。そこで前後の事情やら、陛下の御苦悩の様子、軍部内の情勢等、流石〈サスガ〉の近衛公もお引き受けする以外に道なしと思われてのことで、この機を逸すれば、又終戦のチャンスは延ばされ、国民大衆の災禍は一層ひどくなると陳弁〈チンベン〉これ努めた。私と酒井氏との会談は、二時間にも及んで、併し漸く大分酒井氏の激昂も鎮まり、とに角一晩考えさせて貰おうと言われたので、私もほっとしたことであった。早速ひき返して近衛公にこのことを報告し、一方酒井氏には明日更めて訪問する旨を告げて、私は其の夜遅く漸っと〈ヤット〉最終の上り列車で平塚へ帰ることができた。
 私はその翌日ひる過ぎ、再び酒井氏を訪ねた。が既に酒井氏は仲介案を奇麗に起草されていた。何でも六時間で昨夜から書き上げたそうである。早速近衛公の所へ、その仲介案を持って酒井氏に行ってもらった。そこで近衛・酒井両人で(私はわざと遠慮して同席しなかった)五、六時間論じ合って、色々修正を加えて仲介案はでき上った。「要綱」と「解説」に分け、「要綱」は近衛公が陛下と直々に〈ジキジキニ〉お話して、御璽〈ギョジ〉を頂くことにし、「解説」の方は木戸〔幸一〕内府の諒解を得て木戸氏の印を貰うことにした。その要綱並に解説は次の通りである。

 ここまでが、第四〇「『戦争終結』への木戸構想」である。
 ソ連を通じた和平工作というのは、結局、失敗に終わった。近衛文麿も酒井鎬次も、ソ連を通じた和平工作そのものに反対であり、おそらく、それが失敗に終わることは予想していたと思う。
 にもかかわらず、近衛と酒井は、ソ連を通じた和平工作に協力し、短い時間で、きわめて精力的に、「仲介案」を作り上げた。なぜか。おそらくその基礎にあったのは、「本土決戦、一億玉砕の強硬な軍部を抑えて、その面子も立てつゝ、和平に持って行くには、とにかく中立国ソ連に仲介をたのむということより他に、手はなかった」という情況判断だったのであろう。近衛や酒井は、強硬な軍部を和平に誘導するために、失敗に終わるのを承知の上で、和平工作に協力したのではなかったか。なお、昭和天皇や木戸幸一に関していえば、ソ連を通じた和平工作に、かなり期待していたのではないかと思料する。

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