礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国家を救うの道は、ただこれしかない

2017-08-13 05:29:39 | コラムと名言

◎国家を救うの道は、ただこれしかない

 高木惣吉著『終戦覚書』(弘文堂書房、一九四八年三月)〔アテネ文庫12〕から、「九 悲しさ終止符」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
 昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 連合国側の正式回答は十三日未明、バーンズ国務長官からスイス経由で入電した。ところが正式回答の入電が十三日になつているのに、米英の放送はわが回答の遅きを責め、不誠意を罵じり〈ナジリ〉、威嚇的口調で十二日に東京の原子爆弾攻撃を仄かす〈ホノメカス〉ものもあつた。
 外相〔東郷茂徳〕が十二日早暁の米国放送を以て参内すると、陛下は時機を失しないように受諾の回答がだせるよう取りはからえ、また総理〔鈴木貫太郎〕にも伝えよとのことであつたので、総理官邸にくると平沼〔騏一郎〕枢相が来合せて、バーンズ回答の第一項(天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のためその必要と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かる)と第四項(最終的の日本国政府はポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明する意思により決定せらる)は国体変革を来す〈キタス〉ものと主張し、総理もまた例によつて、大阪城の外濠を埋めるに斉しいとこれに共鳴し、両総長〔梅津美治郎陸軍参謀総長、豊田副武海軍軍令部総長〕の上奏と併せ形勢はむしろ逆転したようであつた。
 十三日も正式回答をめぐつて六巨頭会議〔最高戦争指導会議〕が続けられたが、陸相〔阿南惟幾〕と両総長は右の第一、第四項と、保障占領、武装解除の二条件修正を主張し、外相、海相と対立してまとまらず、午後の閣議も結論がつかずに散会、八時すぎから首相、外相、両総長の間で懇談したが、これまた深更に及んでも一致せず流会した。
 十四日総理は早朝参内して、昨夜までの経過を奏上し、官邸に帰るとまもなく、急に宮中からめされて全閣僚、両総長、枢相が慌しく〈アワタダシク〉参内し、十一時、歴史的最終の御前会議が、宮中防空壕の一室に開かれた。陪席は武官長〔蓮沼蕃侍従武官長〕の外、官長〔迫水久常内閣書記官長〕、両軍務局長〔吉積正雄、保科善四郎〕、計画局長官〔池田純久綜合計画局長官〕であつた。
 総理はまず、九日夜の御前会議からの経過を述べ、続いて参謀総長、軍令部総長、陸相の三名は交々〈コモゴモ〉起つて〈タッテ〉、連合国の回答は前の二点において疑問があり、このままではわが最後の一線である国体の護持も困難になると認められる。もし改めて連合国に照会できればその点を確認したい。然しそれが不可能ならば、こんな条件で終戦するよりも、決然戦〈タタカイ〉を継続せられたい、というそれまでの主張を、更にここに御前に披露したのである。
 そのあと発言もなく、暫らく沈黙が続いた。陛下はそこで
「他に意見がないなら私が意見をいう。卿等はどうか私の意見に賛成してほしい。
 私の意見は、去る九日の会議で示した所と少しも変らない。わが問合わせに対する先方の回答は、あれでよろしいと思う。天皇統治権に対し、疑問があるように解する向きもあるが、私は外務大臣〔東郷茂徳〕の見解通りに考えている。
 私の戦争終結に対する決心は、世界の大勢と、わが国力判断によつている。私自らの熟慮検討の結果であつて、他から智恵を付けられたものではない。
 皇室と国土と国民がある限り、将来の国家生成の根幹は十分であるが、彼我の戦力を考え合せるときは、この上望みのない戦争を続けるのは、全部失う惧れ〈オソレ〉が多い。
 私の股肱〈ココウ〉と頼んだ軍人から武器を取り上げ、また私の信頼した者を戦争犯罪人として差し出すことは、情に於て誠に忍びない。(御涙みゆ、白の手袋のまま眼鏡を拭わる)
 幾多の戦死、傷病者、遺家族、戦災国民の身の上を思えば、これからの苦労も偲ばれて同情に堪えない。(御涙頻りにおち手袋のまま両方の頬をふかせらる)
 三国干渉の時の明治大帝の御決断に做つてかく決心したのである。
 陸軍の武装解除の苦衷は充分解る。
 ことここで至つては、国家を救うの道は、ただこれしかないと考えるから、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでこの決心をしたのである。
 今まで何も聞いていない国民が、突然この決定を聞いたら、嘸かし〈サゾカシ〉動揺するであろうから、詔書でも何でも用意してもらいたい。凡ゆる手をつくす。ラジオ放送もやる……(列席の諸員いずれも泣く)」
 最終的の結論は遂にくだされた。わが史上に前例もなく、後世これに類することも再び起るまじと思わるる悲しき終止符ではあつた。
 陸海軍将兵の動揺は、深刻であろうから、陛下躬ら〈ミズカラ〉説き諭すも苦しくないとの聖旨が、両大臣に伝えられた、感激と共に恐懼〈キョウク〉した米内は、その全責任に於て処置いたしますとの決心を答え、阿南もまた同じく辞退申上げた。
 八月十五日、その日は裏日本の梅雨上りにも似た蒸し暑さで、時々低いちぎれ雲が東に飛んだ。東京は一寸警戒警報が出たが、敵機の進入した模様もなく、道ゆく都民の汗ばんだ顔には、形容もできない疲労と、憂愁を包む深い陰があつた。
 昨夜半から今朝のあけ方にかけて、宮城内に起つた近衛師団一部の叛乱も、阿南陸相の自決も、都民は全く知らないもののように、噂も伝わらず、ただ重大放送があると予告があつたので、路傍でも家庭でも、人々は正午ラジオの周囲に吸い寄せられた。官庁や公館では、広場に拡声器が用意され、時刻まえにうなだれ勝ちの勤務員たちが、あちらこちらからその前に来て列んだ。時々咳払いする位で、元気な話声も起らない。
 急に拡声器にザアーという高い雑音がは入つて、一同はピタと姿勢を正し、声を呑んだ。暫らくして低い「君が代」の奏楽が静に流れ出し、皆の頭がわれ知らず下つて行つた。
「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲に忠良なる爾〈ナンジ〉臣民に告ぐ…………………………………………」
 紛れもないあの陛下のお声である。
 遂に来るべきところに来ついた。然しこれからの見透しは?
 玉音の放送は続いている。
 眼前六尺の大地を見つめていた筆者の視線は、遂に遮ぎる涙のため何も見えなくなつてしまつた。   〔完〕

 以上が、「九 悲しさ終止符」で、これで『終戦覚書』の本文は終わる。このあとに、短い「あとがき」があるが、紹介は、割愛する。
 明日は、さらに別の史料を紹介する予定である。

*このブログの人気記事 2017・8・13(4・5・9位にやや珍しいものが)

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