礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦時下、盆踊りが復活する(1942年夏)

2016-11-21 04:39:32 | コラムと名言

◎戦時下、盆踊りが復活する(1942年夏)

 本日は、政府広報誌(情報局編輯)である『週報』第308号(一九四二年九月二日)から、「戦時下娯楽と移動演劇」(署名なし)という文章を紹介してみたい。この文章を読んで、まず驚いたのは、戦時下において、政府当局が、明確な意図を持って、「暫く差控へて頂いてゐた盆踊りを、今年のお盆を機会に復活した」事実である。

戦 時 下 娯 楽 と 移 動 演 劇

 大東亜戦争を完遂〈カンスイ〉する上に、娯楽文化の受持つてゐる役割は甚だ重要であります。従つて政府といはず、民間といはず、これに携【たづさは】つてゐる者は、娯楽文化の凡ゆる〈アラユル〉面を急速に整備して、最も有効にその有効な機能を全国民、いな、大東亜の全民族の中に滲【し】みこむやうに努力すべきであります。この機能を広く全国に滲透【しんとう】させる一つの方法として甚だ有効な移動文化の状態を、その中の一つである移動演劇を中心にして説明したいと思ひます。

娯楽文化の重要性
 先づその前に、この時局下に重要であるといふ娯楽文化は、どんな意味で重要であるかを一応検討してみませう。
 第一に、国民文化、国民娯楽は、偉大な民族精神といふか、国民全体の精神力の培養に対して、並々ならぬ力を有つてゐることであります。これを裏からいひますと、国民文化、国民娯楽は、国民全体の精神力を豊かに、健【すこや】かに、明るく培【つちか】ふものでなければならぬといふことにもなります。古来、文化は国運と消長をともにすると言はれてをりますが、文化や娯楽の行き方が優れてゐる時代は、必ず国運の盛んな時代であります。逆に、国家の勢ひが隆盛を誇り得た時代の文化とか娯楽は、また必ずそれに相応して極めて優秀なものであつたのであります。従つて国家の興隆をもたらさうとする為政者は、常にその第一着手として風教の刷新、文化の振興に努力するのであります。即ち娯楽や文化は国民精神を培ふ上に、大きな教化的な影響力をもつてゐるのであります。
 第二にこれはまた、いはゆる娯楽として、私どもの生活に楽しさ、潤【うるほ】ひ、明るさ、逞しさを与へる点から考へても大きな効果があります。即ち近頃その必要性がやかましく叫ばてゐる、いはゆる健全娯楽としての効用であります。
 戦時生活においては、誰しもが精一杯働いて国家に御奉公してゐるのであつて、働くことが辛いとか、厭【いや】だとか思ふ者は、国民の中に一人でもあつてはならぬのでありますが、今日のやうに長期戦になりますと、国民精神の緊張をどうして持ちこたへてゆくかといふことが、重大な問題になります。しかしこれは、精力を小出しにするとか、或ひは腹八分目といつたやうに、働く分量をさしひかへるとかいふ意味であつてはなりません。働く時には大いに働き、そしてまた同時に、休養を適当にとる、いはゆる英気を養ふことが非常に大切であります。かうしなければ長い旅は出来ません。この休養をとる方法にはいろいろありませう。眠ること、運動をすること、旅行をすること等々、各人の趣味とか環境によつていろいろと異つて来ませうが、映画や芝居を見たり、音楽を聴いたりするのも、その一つの方法であります。
 かうした意味からすれば、娯楽文化は一つの潤滑油ともいへます。一億国民が火の玉となつて、大東亜戦争といふ大きな車を驀進【ばくしん】させてゐる我が国にとつて、滑【なめ】らかで、澄み通つた、質のよい油が非常に重要であります。今年の豊作が、農民諸士の非常な努力によつて、順調に進んでゐますことは、まことに御同慶に堪へませんが、これと並行して暫く差控へて頂いてゐた盆踊りを、今年のお盆を機会に復活したのも、この趣旨によるのであります。
 逞しく明るい、建設的な芝居とか映画とかを、時間を無駄にしないで観ることによつて、疲れ切つた体は元気に回復し、鈍重【どんぢゆう】になつた頭は生気をとりもどし、清新溌剌として楽しく仕事に帰つて行く………〔ママ〕かうなれば娯楽文化の効果は、まことに測り知れない程であるといはねばなりません。
 第三には、国策の啓発宣伝の上にもつてゐる娯楽文化の力であります。
 今日のやうに大戦争を戦ひ抜かねばならぬ時代においては、全国民にどうしても納得して貰ひ、協力して貰はねばならぬ国策が数多くあります。
 大東亜戦争の勃発以来、全国民は判然と帝国の進路を体得して、一路、光栄ある国家目的の達成に向つて突進してゐるのでありますから、芸能文化の方面でも弛【ゆる】むことなく、戦争の遂行に伴つて無限に発生する国策の啓発宣伝に、直接または間接の努力をせねばならぬものと思ひます。
 そこで娯楽文化にょる啓発宣伝の効果でありますが、この場合においては宣伝される内容は、何人〈ナンピト〉にもたやすく理解されるやり方、また見たり聴いたりして面白く、或ひは悲しく感じられるやうな、興味のあるやり方で表現されますから、硬い演説や口演でやるよりも、大衆的であり、また押しつけがましいところが少いのであります。いはゆる喜怒哀楽のうちに自然と了解されるので、従つてうまく宣伝された内容は、見る者、聴く者によく咀嚼【そしやく】され、心の隅々にまで滲透して、血となり、肉となるといふ強味【つよみ】をもつてをります。
 かうしたことは他の啓発宣伝の方法ではなかなか困難ではないかと思ひます。勿論、こんなことは理想的に行はれた場合に初めて可能なことで、やゝもすると内容が露骨に出すぎたりして、却つて逆効果を生む場合も少くないのでありますが、これはいはば方法を誤つた、或ひは方法が不十分であつたのであつて、それだからと言つて、娯楽文化による啓発宣伝上の効果の大きいことを否定することは出来ません。【以下、次回】

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