礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

いつしか昔を回顧する老人の仲間にはいった

2016-11-07 05:01:10 | コラムと名言

◎いつしか昔を回顧する老人の仲間にはいった

 本日は、末川博『真実の勝利』(勁草書房、一九四八)の紹介に戻る。本日は、「なくなる家と家督相続」という文章を紹介してみたい。その導入部分(本題に入る前の部分)のみを紹介する。

 なくなる家と家督相続

 若い人たちは、未来について展望する。老いた者どもは、過去のことを回顧する。自然の情であり、やむを得ない理でもある。さういふ私も、いつのまにか老人の仲間にはいつた。回顧することを許されたい。
 私は山口県周防の東部山間に位する盆地にある農村に生れ育つた。海といふもの汽車といふもの舟といふもの、さういふものを見たのは、小学校も高等科一年生になつてからのことである。学校の読本に電話のはなしがあつた。習ふ生徒はもちろん、教へる先生の方でも、いつたい電話といふものがどんなものか御存知なかつたのだから、意味は一向わからずじまひ、ただ大きな声で何べんも読みあげるだけのことであつた。東京の銀座といふところには、くもの巣のように電線がはりめぐらされ、その下を鉄道馬車といふのがおそろしい速力で走つてゐるといふ風に、はんか〔繁華〕なもやうが書いてあつても、自分たちの住む世界とは全く別の世界のことでもあるかのやうに、別だん何の興味もわかなかつた。こんな田舎の農村で、私は小学校を卒へた〈オエタ〉のである。
 ところで、その小学校に通ふころ、私のいやな仕事の一つに、学校の近くのこんや(コウヤといつてゐた)へ時々白いもめん糸のたばをとどけておいて、染まつたらまたそれをもらつて帰るといふ仕事があつた。母がうちでつむいだ糸を染めてもらふのであるが、昔から「こんやのあさつて」というてゐたやうに、学校の帰りに、母にせかれるままに、何度たちよつてもなかなか染めあがつてゐないので、いやな思ひをしたのである。当時私のうちには、綿の実の種子をとるサネクリと称する小さい木製の道具があつた。それで綿をきれいにしてから、ブーンブーンと妙な音をたてる竹製のつむぎ台にかけて糸とする。その糸を一くくりにしては、こんやにとどけて染めてもらふ。染つたのをもつて帰ると、母が「はたおりべや」でトントンと織るのである。そしてその布で家の者の着物や足袋〈タビ〉などを縫ふ。だから、私の着物はこんがすり〔紺絣〕にきまつてをり、私のはいた足袋にはヒモがついてゐて、それで足にくくりつけるやうになつてゐた。町から来た人が金ぞく製のコハゼのついた足袋をキチンとはいてゐるのを見たときには、めづらしがつたものである。かうして、着物も足袋もすベて自分のうちで作る。もちろん、農家である私のうちではミソもシャウユもつけ物も、たべる物一切みなうちで作つてゐた。タバコにしても、きざむ大きなハウチャウ〔庖丁〕があつたのを覚えてゐる。私のうちは村では大きい方の農家であるから、おとこし(僕)とねえや(女中)とがゐて、毎晩、夏はゑんさき〔縁先〕で、冬はゐろりを囲んで、俵をあんだりワラヂやザウリ〔草履〕を作つたり、よなべをしてゐた。そしていつも夕暮には、ナハをなふ〔綯う〕ためのワラを打つのだが、その手つだひが私の日課でもあつた。とにかく、このやうにして、自分の家で消費するものは、すべて自分の家で生産する。自給自足である。だから、金銭といふものは、教科書や学校道具すなはち文房具を買ふとき以外には、もつたこともなく、また使ふすベも知らずにすんだ。私の家のおとこし〔男衆〕やねえやの給金も、ハツキリきまつてをらず、盆と暮に、おしきせの着物や米で一俵とか一俵半とかいふ勘定で支払はれてゐた。しかもそれを持つて帰らずに、何年分も私の家の米倉にあづけておくおとこしがあつたのを、今もなほ私は記憶してゐる。つまり、おとこしやねえやは、身分的にくくられて、私の家の者として生きてゐたのである。ところで、これば、明治も三十年以上たつた頃のはなしであつて、そんなに古い昔のはなしではない。【以下、割愛】

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