礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

一二の飛行機と雖もゆゆしい結果を生ずる(東健一)

2017-09-01 04:04:40 | コラムと名言

◎一二の飛行機と雖もゆゆしい結果を生ずる(東健一)

 一昨日に続いて、東健一著『防空の化学』〔科学新書37〕(河出書房、一九四二年九月)を紹介する。本日、紹介するのは、「第一章 焼夷弾」、「Ⅰ. 序説」のうち、一昨日、紹介した部分に続く部分である。

 次に焼夷弾による出火個数を概算しよう。いま大型航空母艦が2隻、我が本土を奇襲して各々50機宛*、計100機を以て空襲すると考へよう。我国の防衛陣によつて忽ちその70%が撃墜されたと仮定すれば、30機が内地に侵入する。爆撃機1機が1噸〈トン〉の積載量**を持つとし、全部5kgの焼夷弾を積むとすれば1台が200個を落す。従つて6000個の焼夷弾が撒かれることになる。今その内20%***が家屋その他に命中して出火の可能性があるとすれば、1200の地点で出火することになる。これは大震火災に於ける発火場所92の約13倍に相当する。
 *この仮定は便宜上のものでやや過大である。尚科学新書25に永村〔清〕造船中将の執筆された『航空母艦』〔河出書房、一九四二〕を参照されたい。
 **難波中佐の著書、『現時局下の防空』の想定に拠る。勿論、爆撃機の積載噸数は爆撃機の種類によつて大いに異るのであるから、厳密に云へば、それを考慮して議論をせねばならない。併し積載量0.1噸以下の爆撃機や10噸以上の爆撃機はあまりないやうである。従つて本書で取扱ふやうな荒つぽい見積りの場合には『爆撃機は1噸の積載量を持つ』と云ふ仮定で充分実用的なのであり、且つ甚だ記憶し易い利点もある。本書では以下に於て常にこの仮定を用ひるつもりである。又本書の中に出て来る概算は、大抵大ざつぱのものであることをお断りして置く。防空の専門家でない我々に取つて、正確な数値の論議はあまり必要でないからである。
 ***栗原氏によると、東京の新市域の統計では建物は土地の約10%に当るさうである。従つて投下された弾は新市域に於ても10%は家屋に命中する。尚ほ建物の内部に落ちなくとも、近くに落ちて家屋に燃え着く場合も尠なくないであらう。 いまこの確率を10%と仮定すれば、本文に挙げたやうに計20%の割合で火災発生の危険があることになる。又東京の旧市内のやうに家屋が密集して居る場所では更に火災の危険が増大する。
【本文に戻る】
 いま敵機1台が帝都の上を時速800kmで飛びながら毎秒10個の割で5 kg焼夷弾を落したとすれば、焼夷弾は互に何メートルの間隔に落ちるか。このやうな計算は極めて簡単な算術であるから、読者は是非自身で解答を求められたい。数量的知識は自分で計算して初めて確実に把握出来るものであつて、単に読んだだけでは容易に獲得出来る性質のものでない。算術の結果は約1700mの長さに亘つて約8mの間隔で落ちる。5kgの焼夷弾は周囲5m以上の半径の而積に火沫を飛ばすゆゑ、焼夷弾の落ちた場所は連続した火の線になり、その長さは市電の通るところで云へば停留所5個間の距離とほぼ等しい。従つて、若しも消防に時機を失してこの火線が真の火事を発生したならば、一二〈イチニ〉の飛行機と雖も〈イエドモ〉ゆゆしい結果を生ずるのである。
 不幸にして敵が我国を爆撃範囲に置く航空基地を獲得し、100機以上の編隊で絶えず爆撃するやうな事態が発生した場合には、大火災の危険は更に増大するものと考へねばならぬ。【以下、略】

 文中に、「大型航空母艦が2隻、我が本土を奇襲」、「爆撃機1機が1噸の積載量」とある。たぶんこれは、一九四二年(昭和一七)四月のドーリットル空襲を意識している。
 ドーリットル空襲では、米空母二隻(エンタープライズ、ホーネット)が作戦に参加している。また、本土を爆撃したのは、空母ホーネットから発進した陸軍爆撃機B-25 ミッチェル十六機だったが、その各機は一トン弱の爆弾(五〇〇ポンド爆弾四発)を搭載していたという。
 いずれにせよ、この本の著者・東健一(陸軍科学学校教官・理学博士)は、ドーリットル空襲を踏まえながら、「敵が我国を爆撃範囲に置く航空基地を獲得し、100機以上の編隊で絶えず爆撃するやうな事態が発生した場合には、大火災の危険は更に増大する」と指摘したのである。これを指摘した際、著者には、それなりの「覚悟」があったと推察する。そして、著者のこの警告は、現実のものとなったのである。
 さて、今日、「防空」の対象は、焼夷弾を積んだ爆撃機ではなく、核弾頭を積んだミサイルである。その脅威は、焼夷弾の比ではない。ミサイルに核弾頭が積まれていなかったとしても、原子力発電所を標的にされた場合には、その影響は、核弾頭が積まれている場合と変わらない。まさに、「一二のミサイルと雖もゆゆしい結果を生ずる」。なぜ今、そのことを、「覚悟」を以て指摘する専門家がいないのだろうか。
 私見によれば、こういう情況下において必要なのは、ミサイルを迎撃する軍事的技術でもなければ、核シェルターの整備でもない。むしろ、日本独自の「平和外交」ではないのだろうか。そういう声を、あまり聞くことがないのが残念である。

 
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