礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

クーデターの決め手はノックアウトのみ

2017-03-07 00:21:45 | コラムと名言

◎クーデターの決め手はノックアウトのみ

 初期の中公新書に、尾鍋輝彦著『クーデター』(一九六四、中公新書55)がある。最近、取り出して読んでみたところ、なかなか面白い。もっとも、まだ、第四部「日本的クーデター」のところだけしか読んでいないが。
 本日は、第四部「日本的クーデター」の第二章「二‐二六事件――日本的クーデター」から、「二‐二六クーデターはなぜ挫折したか」の節を紹介してみよう。

 二‐二六クーデターはなぜ挫折したか
【前略】
 反乱部隊が出動→暗殺→都心部の無血占領までを、事前に探知妨害されずに整然とおこないえたのは、取締り側の手ぬかりを考慮に入れるとしても、日本陸軍の訓練と指揮能力の高さを示すものであった。ここまでがあまり順調にすすんだので、駐日アメリカ大使グルーは、これより三年前〔一九三三〕にキューバでおこったバチスタのクーデター成功を連想して、クーデターが成功して二六日中に新しい国法が宣布されると判断したほどであった。しかし、先制の武装兵力一四〇〇は、数時間で積極的活動を停止して守備の位置につき、相手側の包囲線が固まるにまかせていた。
 クーデターというものは、現状維持勢力と革新勢力の文字通りきりぎりの力の競争である。ナポレオン‐ボナパルトは、サン=クルーの議会を包囲したあとは総裁政府の譲歩を待つ、などということはしなかった。総裁政府の首脳部を強制して辞職させ、軟禁や買収によって権力闘争から遠ざけ、議会から議員を追いだしたのである〔一七九九〕。ルイ‐ナポレオンは、はじめは大統領の権限の強化を議会と交渉していたが、相手に妥協する色がないと知るや、電光石火、共和党議員を逮捕して議会勢力を解体させたのである〔一八五一〕。
 青年将校は、日本の伝統的国体観を極点にまでおしすすめて、政府のあり方を否定した。そして、国体観にもとづいた自分たちの行動は正しいのであり、正しいから現人神【あらひとがみ】である天皇は御嘉納あるはず、と思いこんだ。もちろん彼らといえども、「純理」だけで物事が解決するとは考えず、力を背景にしなければならぬことは知っていた。しかし、そこでも国体観にとらわれて、「大権私議」という非難をおそれ、敵を終局まで追いつめず、軍・政の上層部に媒介された至高の権威の審判によって「判定勝」を得ようとした。すなわち、クーデターの決め手はノックアウトのみであることには思いいたらなかつたのだ。
 万国無比の国体などというものは無く、したがって万国無比のクーデターなどというものはありえなかった。それを知らなかったことが、決定的な誤りであったのだ。北一輝の『日本改造法案大綱』は、万国共通のクーデター行動の原則を示していたのであるが、北を崇拝するが青年将校は、万国無比のクーデターの聖典として読んで、その真意を正しくつかむことができなかったのだ。軍は統制派と皇道派とに分かれてあい争っていたが、そこには真の革命派は存在していなかったのである。
 また、クーデター計画の技術的欠陥もすくなくなかった。クーデターを成功させるためには、適時適切な方策を打ち出すべき首領の指導権が確立していなければならない。しかるに、二‐二六クーデターは集団指導によっていた。戦争において指揮権が決定的に重要であることを知りつくしているはずの青年将校も、自律的には首領をもつことができなかった。
 北一輝は「真崎内閣の推進」とか「早期帰順反対」などの助言をおこなった。この助言は、青年将校の行動様式の範囲内では、戦術的に適切であったかもしれないが、それは北の意見としてではなく、北の妻が霊媒の役をつとめた神のお告げという形式をとってつたえられた。
 陸軍がクーデターに成功していったん権力をにぎったが、海軍の反対によってたちまちくずれたという例が外国にある。海軍が巨大な勢力である日本で、二‐二六の幹部は海軍の態度を重要視すべきであった。しかるに、彼らは、海軍も自分たちと同じく、大御心【おおみこころ】がいったんきまればそれに従うものと考えて軽視したのであろう。しかし、大御心がきまるまでの海軍の動向は依然として考慮されねばならなかったはずだ。海軍では、急進的将校は五‐一五以後ほぼおさえられていた。まだ少数の分子が残っており、また加藤寛治〈ヒロハル〉や山本英輔〈エイスケ〉大将が政治的野心をもって動いてはいたが、海軍当局はかねてから急進派に寛大な陸軍にたいして批判的であり、クーデターによる国政革新には明白に反対であった。二‐二六では海軍の長老である重臣を暗殺されて、陸軍にたいして怒っていた。海軍は、反乱第一日から一線を交える用意さえしていたのである。【以下、次回】

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