礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

那珂通世博士、藤村操の死に痛哭す

2014-12-07 04:40:55 | コラムと名言

◎那珂通世博士、藤村操の死に痛哭す

 東洋史学者として知られる那珂通世博士は、華厳の滝に投身した藤村操の叔父にあたる。那珂博士は、一九〇三年(明治三六)五月二三日、つまり、投身事件の日の翌日、甥の自殺を悼む文章を草し、これを『万朝報』に送った。黒岩涙香は、これに短い解説を付して、同紙に掲載した。
 本日は、この追悼文を紹介してみよう。引用は、「現代日本文学全集」第五一巻、『新聞文学集』(改造社、一九三六)より。なお、同書は、この記事が『万朝報』に掲載された日付を明記していない。

 那珂博士の甥華厳の瀑に死す 自転車博士の異名〈イミョウ〉あるばかり斯道に嗜み〈タシナミ〉深き高等師範学校教授那珂通世文学博士の甥に方る〈アタル〉藤村操(十八)といふは第一高等学校の生徒にて同学中俊秀の聞えある青年なりしが去〈サル〉二十日家出をなし終に日光は華厳の滝壷に身を投じて悲酸なる最期を遂げたり右につき叔父那珂博士はわが社宛て左〈サ〉の如き悲痛の文を送られたり其青年の平生〈ヘイゼイ〉死因等明かに記されたれば其全文を掲ぐる事となせり
 嗚呼〈アア〉哀い〈カナシイ〉かな、痛しい〈イタマシイ〉かな、我が兄の子藤村操、幼にして大志あり、哲学を講究して、宇宙の真理を発明し〔明らかにし〕、衆生〈シュジョウ〉の迷夢を醒まさんと欲し、昨年より第一高等学校に入り、哲学の予備の学を修め居〈オリ〉たれども、学校の科目は、力を用ふるほどの事の非ず〈アラズ〉とて、専ら哲学宗教文学美術等の書を研究して居たりしが、去る二十日の夜、二弟一妹と唱歌を謡ひ、相撲を取り、一家愉快に遊び楽しみ、翌二十一日の朝、学校に行くとて出でたるまゝ、二十二日になりても帰らず、母大に〈オオイニ〉憂ひて、机の引出しを明けて見たるに、杉の小箱の蓋に『この蓋あけよ』と大書しあり、開いて見れば、七枚の半紙に、二弟一妹と近親五名と親友四名とに配賦すべき記念品と学校その外友人十余名に返すべき借用書籍の名とを(本木箱の番号までも書き添へて)委しく列記せり、『こは死を決したる家出なり』とて、急に大噪ぎ〈オオサワギ〉となり、親戚朋友の家へ電話電報にて問合せたれども、何れも『来らず』と云ふ、午後八時に至り『日光町小西旅館寓』として、郵書達し、『不孝の罪は、御情〈オナサケ〉の涙と共に流し賜ひてよ、十八年間愛育の鴻恩は、寸時も忘れざれども、世界に益なき身の生きてかひなきを悟りたれば華厳の瀑〈タキ〉に投じて身を果す』との趣意を委しく告げこせる、余之を聞き、徹夜輪行して〔自転車に乗って〕日光に至らんと思ひ、駆け出したるが栗橋の渡しの夜の渡さぬに心付き、残念ながら下谷〈シタヤ〉より引返し、今朝(二十三日)の一番汽車にて操の従兄弟高頭正太郎氏と共に日光に至り、巡査車夫等と力を合せて華厳の瀑の上下を隈なく探したれば、瀑の落口〈オチグチ〉の上なる巨巌の上に蝙蝠傘〈コウモリガサ〉の地に植てる〈タテル〉あり、近寄りて見れば、大樹を削りて、左の文を書せり
 悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからんとす、ホレーショの哲学竟に何等のオーソリテーを価するものぞ、万有の真相は唯一言にて悉す、曰く『不可解』我この恨を懐いて煩悶終に死を決す、既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安ある無し、始めて知る大なる悲観は大なる楽観と一致するを
 樹の傍らには、傘の外〈ホカ〉に、大なる硯と墨と太き唐筆と大なるナイフとあり、此等の器具は、家を出づる時予め〈アラカジメ〉用意したりと見ゆ、その運筆の遒美〈シュウビ〉なるを見れば、巌頭に立てる時心中の従容〈ショウヨウ〉として安泰なることは察するに余りあり、鳴呼、余が如き楽天主義の俗人の甥に、いかなればかゝる極端の厭世家を生じたるか、思へば思へば、不可思議なり、巌角に攀じて〈ヨジテ〉瞰下せば〈ミオロセバ〉、六十丈の懸泉は、巌石を砕いて雷の如くに轟き、滝壷は、暴風雨の如き飛沫に蔽はれて見えず、かくて身の丈〈タケ〉五尺五寸余、眉目清秀にして、頬に微紅を帯び、平生孝友にして一家の幸福の中心と思はれし未来多望の好少年は去つて返らず、消えて痕なし、嗚呼哀いかな
 明治三十六年五月二十三日の夜
  中禅寺湖畔の旅館蔦屋にて
   叔父那珂通世哭して記す

 那珂通世は、自転車旅行を趣味とし、「自転車博士」の異名を持っていたという。二二日夜、一度は、自転車で日光に向かったというのは、いかにも自転車博士にふさわしい逸話である。
 それにしても、この一文は「名文」である。こういう名文で、その死を悼んでもらえた藤村操は、ある意味では幸せだったのかもしれない。また、その死は、『万朝報』の黒岩涙香の関心を引いた。これも藤村操にとっては、幸せなことだったのかもしれない。

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