礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「今こそ 自由民権 菅原文太」

2014-12-04 06:07:00 | コラムと名言

◎「今こそ 自由民権 菅原文太」

 二〇一二年の一一月一一日、福島県石川郡石川町〈イシカワマチ〉の石川共同福祉施設で、菅原文太さんの講演会があった。『石陽社顕彰会会報』第6号(二〇一三年一月)に掲載されている写真を見ると、当日、会場入口に掲げられた垂れ幕には、「〔自由民権学習会〕/自由民権運動のふるさとの人たちへ/『明治のこころを伝える』(銑次からの伝言)/講師 菅原文太氏/(主催)石陽社顕彰会 (共催)石陽史学会」という文字がある。
 同じく、『石陽社顕彰会会報』第6号の記事によれば、この講演会には、約三〇〇名の聴衆が集まり、満席の盛況だったという。石川町は、人口一万六千人あまりの小さな目だたない町である。その町でなぜ、「自由民権学習会」なのか。なぜ、講師が菅原文太さんだったのか。
 実は、福島県石川地方は、東北における自由民権運動の発祥の地なのである。かつて「石陽社」という政治結社があり、自由民権運動を推進していた。今日では、それを顕彰する石陽社顕彰会が結成され(代表は我妻滋夫氏)、『石陽社顕彰会会報』という会報を発行するなど、積極的な活動をおこなっている。
 また、石陽社顕彰会のホームページというものもあり、そこには、次のようにある。

東北で最初に運動に参加、大きな役割 石川地方の人々は、この自由民権運動にいち早く参加し、大きな役割を果たします。 最初に始めたのは高知県の板垣退助らですが、東北地方では最初に石川地方で始められました。/当時石川区長であった河野広中〈コウノ・ヒロナカ〉を中心にしながら、地元から神官、元庄屋、医者、教師、豪農、村役人などの人たちが多く参加しました。
自由民権運動をすすめた政治結社 自由民権運動を進めた政治結社は、石川地方には石陽社と第二嚶鳴社の二社がありました。 石陽社が最初に結成されたので、県内各地からも、宮城県や山形県、茨城県、栃木県、福井県、高知県からも多くの加入者がありました。河野ほか、吉田光一や吉田正雄、鈴木嘉平、鈴木荘右衛門などが中心で、ほかの結社と手をつなぎ、東北遊説などに、積極的に出かけていきました。

 菅原文太さんが講師として招かれた「自由民権学習会」も、石陽社顕彰会の主催であった。ではなぜ、「元俳優」の菅原文太さんだったのか。
 菅原さんは、二〇一二年一月一五日にNHK教育テレビで放映された「自由民権 東北で始まる」(「日本人は何を考えてきたのか」シリーズ第二回)で、ナビゲーターをつとめている。この番組では、福島の自由民権運動について、これまであまり知られていなかった人物、資料、エピソードなどが紹介され、非常に興味深い内容になっていた。
 菅原さんは、もちろん、それ以前から自由民権運動に関心を持っておられたのだろう。しかし、この番組に携わったことをキッカケに、自由民権運動についての研究を深めていったものと推察する。
 番組の中で、歴史家の色川大吉さん、憲法学者の樋口陽一さん、菅原文太さんの三人が語り合う場面があった。菅原さんの存在感と語りは、二人の学者に比べても遜色なく、むしろ一語一語の重みという点においては、二人の学者を凌駕するかの印象があった。ちなみに、樋口陽一さんと菅原文太さんは、仙台の名門・仙台一高の同窓で、学年は、菅原さんが一級上だったという。
 石陽社顕彰会のメンバーは、おそらく、この番組を見て、菅原文太さんを講師に招こうと考えたのではないだろうか。
 ところで、前記『石陽社顕彰会会報』第6号には、菅原文太さんの色紙の写真も載っている。毛筆で、「今こそ/自由民権/菅原文太」とある。達筆である。菅原さんは、めったにサインをしないという伝説がある。それが事実だとすると、この色紙は貴重である。

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