ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

今年も亡くなった同級生たちの家を回る

2017-08-15 22:55:10 | 生き方
盆の間は、回っておきたいところがあった。
それは、去年も回ったが、亡くなった高校時代の同級生たちの家だ。

4人いたが、1人の家は、もう家族が誰も住んでいない。
だから、昨年家族あてに送った郵便物も、戻って来てしまった。

今回は、3軒を訪ねるが、車で回った総距離はおよそ110km。
胎内市、新発田市、新潟市と結構距離がある。

まず、9時半頃訪ねたのは、胎内市のM氏宅から。
M氏は4年前に亡くなった。
高校時代の同級会の幹事をいつもやってくれていた彼。
肺がんで入退院の結果、亡くなった。
私が初めて新潟シティマラソンのゴールにたどり着いた年には、彼は新潟市のがんセンターに入院していたのだった。
今日訪ねた時、ちょうど奥さんが外出しようとしていた。
ギリギリセーフだった。
仏壇には、今春編集した還暦記念文集が供えられて(?)あった。
それをうれしく思った。
奥さんは、文集には協力できなくて悪かったけど…と言いながらも、その文集を読んでいいなあと思ったとのことであった。

新潟のSI氏は、去年3月に1年早く退職し、4月上旬に信州への最後の家族旅行に行った後、下旬に亡くなった。
家族・奥さん思いの人だったことが、記念文集に寄稿してくださった奥さんの文章から伝わってきていた。
訪ねてみると、奥さんはあいにく外出中であり、お寺さんがお経をあげに来ていたため、線香をあげた後、早々に辞去してきた。
夕方、わが家に奥さんから、礼の電話があった。
丁寧で誠実な方だなと思った。

新潟市の周辺は、帰省した車やUターン客の車で結構混雑していた。
そのため、新発田市のO氏宅を訪ねたのは、午後2時近くになってしまった。
O氏が亡くなったのは、もう10年も前になってしまっていた。
10年前の7月下旬の休日に、彼は会社の同僚宅で突然倒れ、亡くなった。
その4年前、奥さんが入院したベッドの隣が、私の母だった。
そのため、私のあることないこといっぱい話をしたらしい。
その時、私の母が50代で未亡人になった話をしたのだが、はからずもO氏の奥さんも同様の運命をたどることになってしまった。
子どもたちも学生だったし、途方に暮れた。
もっと私の母の話を真剣に聞いておけばよかった、などという話もしたのだった。
しかし、今は10年たち、上の娘も結婚し、やっと余裕が持てるようになったと言っていた。

今日お会いできた2人の奥さんは、まだ退職となっていないこともあり、「やっぱりまずは健康が一番ですね。」と同じことを言っていた。
そして、夫を亡くすという経験をしたが、時を経ることによって、強くなったように思う。

「お忙しいでしょうけど、また来てください。」
「はい。わかりました。また図々しく参ります。」
奥さんのいた2軒とも、そんな話をして、あとにした。

記憶はだんだん薄れていくかもしれないが、同級生たちと同じ時代を生きてきた。
生きてきた証、思い出を語ることによって、その人たちの人生が浮かび上がったり、改めて貴重な存在であったことを思ったりできる。
盆の期間の訪問は、大切にしたいと思うのだ。
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