畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

畑のかえるくんの楽しい日記です。

美術館巡り

2016年10月01日 | 日記
県西部の美術館を2館巡った。
木島桜谷「山路の春」、児玉希望「函南から見た富士」、杉山寧「西瓜図」、安田靫彦「鬱金香」、小野竹喬「山湖」、奥村厚一「朝映」、金島桂華「枝椿」、木島桜谷「田舎の秋」(屏風)、横山大観「木賊」などが、わたしには良かった。
木島桜谷は農村の風景や農民を描いていた。「田舎の秋」は明治30年の作品だったが、子どもの頃のわたしが見た昭和の風景とよく似ていた。明治、昭和、今との連続、逆に今と昭和、大正、明治、江戸や室町時代とさかのぼって考えると、遠い過去に手が触れたようで心地良かった。

小野竹喬




わたしの勝手な日本画観だけれど、(好みの作品は)シンプルな構図で、作者の印象・こころを描いている。
あるいは、思い出や未来の予想を描いている。
色や構図、形状などほとんど作者の印象、主張に基づいて描かれている。
仏教や記紀神話・神道の影響も強い。

何よりも感心するのは、風景やもの、人物の中に、作者が溶け込んでいる。
この点が洋画と対照的なところで、洋画は作者が絵を通じて自己主張しているが、日本画はその真逆で溶け込んでいる(ような感じがする)。

家で道を歩いたり農作業をしていたりすると、自然とのつながり、時間(過去・未来)とのつながりにひたることがある。
今回の日本画をみての感銘は、最近の生活や退職して心に余裕ができたことに関係しているかもしれない。

二つ目の技術館では、棟方志功の板画もみた。



戦争中福光に疎開していたが、その後、柳井道弘の案内でを美作地方を再々訪れていたという、このことを初めて聞いた。
再確認したのは、もとは油絵を描いていたが、文と版画(板画)を重ねて表現するようになって個性が出現したということ。
絵だけではなくて文字を添えることによって自分流の表現ができるようになった。
文字に絵を添えているとも言える、文字を絵で掘る、画を板で書くという感じだ。
これは、今風の絵手紙にも通じるし、伝統の書にも通じる。

長生きしないともったいない、わたしもよぼよぼになっても、絵を描いたり文字をつづったりしながら、長生きをしたいなあと思うこの秋だ。
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