ブッチャーと坂道

昭和47年度卒
福島市立第四中学校卒業生の同級会記録や日常の出来事

卒業アルバムより

2017年07月26日 | 日記




             四中を卒業後、月日は流れに流れて我々同期も還暦を迎えました。
        同級会を来月に控え、卒業アルバムを引っ張り出して当時の様子を思い返してみました。




【新井田忠雄校長と卒業生への言葉】





【教職員の皆様】
歳のせいか、すべての先生方や職員の方々の記憶は残っていませんが、こうして集合写真を見ると
多くの方々が我々を指導して下さったのだとあらためて思います。





【3年生担任の先生方と寄せ書き】
諸先生方の個性や卒業生への想いを偲ぶことができますね。





【夜明け前の悲劇】
昭和46年9月6日未明、サイレンに驚いて飛び起きて窓の外を見ると、
信夫山の中腹に張り付くようにあった校舎から火の手が上がっているのが見えました。
大急ぎで校舎に駆けつけてみると、プールの前にはすでに何台もの消防車が到着し、
しきりに放水していました。消防隊員の懸命の消火活動にもかかわらず、
老朽化した木造の校舎を這いまわる火の手はますます勢いを増し、
炎は明けかかった空を焦がしていきます。
辺りを見回すと駆けつけた生徒たちの姿もあちこちに。
小さいグループがいくつか出来ていましたが、一同只々オロオロするのみ…。
と、そこへどの先生からだったか忘れてしまいましたが、そこにいた我々生徒に向かって
怒号が飛びました。
「おい!お前たち、音楽室に行ってピアノを運び出せ!!」と。
今の時代では考えられない指示ですが、当時は先生方の動揺は我々が計り知れないほど酷かった
のでしょう。
もちろん、炎と煙に包まれた校舎にはどの生徒も近づきませんでしたが。
当時の在校生の皆様にとっては、一番の強烈な思い出ですよね。





【そして新しい校舎の建設】
昭和48年8月に完成。
我々がこの新しい校舎から出た最初の卒業生になりましたね。
当時ではモダン(?)な鉄筋コンクリート3階建て。
雑巾がけで手に怪我をしそうな床や、石炭を運んで焚いていたダルマストーブの当番からも解放され、
快適な校舎に。
第四小学校や福島高校に分散されていた在校生が、ようやく一つの校舎に集う事ができました。





今回はここまで。
これから、少しずつ卒業アルバムや手元にある写真などから思い出に残るものを
アップしていこうと思います。
同級会が終わりましたら、その時の様子も載せてまいります。

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