gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

佐野周二

2010-03-02 09:49:22 | 日記
佐野 周二(さのしゅうじ、本名:関口正三郎(せきぐちしょうざぶろう)、1912年11月21日 - 1978年12月21日)は、日本の俳優。昭和初期から後期(1930年代後半?1970年代)に活躍。関口宏、佐野守の父、関口知宏の祖父に当たる。来歴・人物東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)に、鳶職の息子として生れる。1933年に立教大学経済学部予科を卒業後、1935年に義兄の経営する神戸の貿易商「アサヒ商会」に入社する。同年、松竹の俳優募集に応募し、1000人の中から1人合格し、1936年松竹に入社。「大船撮影所1期生」として、同年の佐々木康監督の『Zメン青春突撃隊』で俳優デビュー。立教大学の先輩上原謙とともに、幹部スター候補生として、主役格で使われ、1937年には早くも準幹部に昇格し、島津保次郎監督の『婚約三羽烏』で、上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」として共演し、スターの地位を決定的にした。1938年には幹部に昇格し、名実共に松竹を背負ってたつ存在となった。その後、人気絶頂だった1941年から、終戦まで3度召集される。その間も、その間隙を縫うように、野村浩将監督、李香蘭主演の『蘇州の夜』、小津安二郎監督の『父ありき』などの作品に出演するなど、人気を保ったが、私的には妻と長女をなくし試練の時となった。戦後になっても、二枚目スターとして活躍し、重厚な演技を持ち味に、木下惠介監督の『お嬢さん乾杯!』、『カルメン故郷に帰る』、吉村公三郎の『春雪』などに出演する。特に、小津安二郎の『風の中の牝鶏』では田中絹代と共演し、子供の医療費のために一度だけ売春した妻への、怒りに苦しむが愛情を取り戻していく帰還兵を好演し新境地を切り開いた。猪俣勝人は『日本映画俳優全史』で、戦後は戦前の甘さ爽やかさが失われたと評し従軍体験の翳を嘆いているが、むしろ少し粗野な味やユーモアを加えて幅を広げた演技は『お嬢さん乾杯!』などで引き出されている。1953年にはフリーとなり、五所平之助の『大阪の宿』や成瀬巳喜男の『驟雨』などに出演し、演技派俳優として確固たる地位を確立する。1954年には、俳優の生活安定を図る目的で「まどかグループ」を佐田啓二、桂木洋子、三井弘次らと設立し、映画制作も手がける。1965年以降はテレビにも活躍の場を広げ、主に温厚な父親役で親しまれた。1978年12月

<かるた>西郷六段が12連覇 名人位戦(毎日新聞)
郵便不正公判、検察側やや守勢 24、25日にヤマ場の元係長尋問(産経新聞)
<警部自殺>「パワハラが原因」遺族が提訴 横浜地裁(毎日新聞)
【25%の危機】(中)新たな負担 いまだ“藪の中”(産経新聞)
石川容疑者「不正はない」 民主党議員にコメント(産経新聞)
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 太平洋沿岸に大津波警報発令... | トップ | 小笠原村、父島、母島両島に... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。