パパとりの雑記帳

酉年生まれで、6巡を迎えた年金生活者
新聞、TV,PC等の情報により、
好奇心に駆られて、近郊を散策

鹿ケ谷安楽寺「かぼちゃ供養」

2017年07月26日 | 日記
7月25日、京野菜として有名な「鹿ケ谷かぼちゃ」による
「中風」にならないよう願う「かぼちゃ供養」に行ってきました。

  「中風」とは、中気、卒中ともいわれ、現在では脳血管障害の後遺症(偏風)である
  半身不随、片まひ、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指す言葉として用いられています。

ひょうたんに似たおもしろい形の「鹿ケ谷かぼちゃ」とは、
約二百年近く京都で栽培されてきました。
昔から京都では、「おかぼ」と呼び、人気のある京野菜です。
文化年間(1804~1818)の頃、東山のお百姓さんが、津軽に旅をしました。
その時に、かぼちゃを持ち帰り、鹿ケ谷に住むお百姓さんにあげました。
もらったお百姓さんは、さっそく自分の畑に植えて、栽培しました。
これが、鹿ケ谷かぼちゃの始まりです。
昭和に入ってかぼちゃの新品種との競争に敗れ,作付けは激減しましたが、
京都の伝統野菜「京野菜」の一つとして最近有名になり復活してきました。

江戸時代に安楽寺の真空上人が、
「夏の土用に鹿ヶ谷かぼちゃを食べると病にかからない」
との夢のお告げを受け、仏前で供養をして食したのが始まりです。
毎年、7月25日に安楽寺の寺宝一般公開(虫干し)に来た参拝者に
鹿ヶ谷かぼちゃが振る舞われます。

参拝案内


 
哲学の道を歩いているとかぼちゃ供養の案内

 
「浄土禮讃根本地」      山門

 
境内の「くさ地蔵堂」      「こまかぼちゃ」?

 
手水舎            佛足石


本 堂

 
本尊「阿弥陀三尊像」    「法然上人張り子像」

 
鹿ケ谷かぼちゃ       京野菜のお供え

 
「かぼちゃ供養」の振る舞い  振る舞いの卓には鹿ケ谷かぼちゃ
振る舞いのお手伝いは子供達がしていました

 
緑に包まれた庭園を眺めながら、美味しくかぼちゃを頂きました。
少しかぼちゃから離れて、安楽寺の悲しい由来
鎌倉時代初期、法然上人の弟子住蓮房・安楽房の二人の僧が念仏道場「鹿ヶ谷草庵」を建て、人々に念仏をすすめました。
当時、後鳥羽上皇の女官として仕えていた19歳の松虫姫と17歳の鈴虫姫は、
両上人から念仏の教えを拝聴し感銘し、密かに出家。
このことを知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企て、二僧は斬首。
(安楽房は六條河原において、住蓮房は近江国馬渕にて処される)
これに止まらず、法然上人は讃岐へと親鸞聖人は越後へ流刑に処しました。(建永の法難)
その後、両姫は瀬戸内海の生口島の光明坊で念仏三昧の余生を送り、
松虫姫は35歳で鈴虫姫は45歳で往生したと伝えられます。
両上人亡き後、「鹿ヶ谷草庵」は荒廃しましたが、
流罪地から帰京された法然上人が両上人を弔うため
草庵を復興するよう命じ「住蓮山安楽寺」と名づけました。
本堂には本尊阿弥陀三像を安置し、傍に住蓮・安楽両上人、松虫・鈴虫両姫の座像、
法然上人張子の像などをまつっています。
また、境内には住蓮・安楽両上人、そして、松虫・鈴虫両姫のそれぞれの供養塔があります。


参拝案内の表紙


上段 安楽上人・住蓮上人座像 
下段 鈴虫姫 ・松虫姫 座像 

 
住蓮上人・安楽上人墓所(供養塔)

  
松虫姫・鈴虫姫墓所(供養塔)



ご朱印「法然上人御旧跡」

          (参拝案内、観光案内、京野菜「かね正」のHPを参考にしました)
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